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超音速・垂直離着陸戦闘機 F-104V/J

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F-104Vは、実用戦闘機として初のマッハ2を達成した超音速戦闘機F-104を素体として開発された、超音速VTOL戦闘機である。

当時は東西冷戦下であり、東側と国境を接する国々では常に臨戦状態の緊張が続いていたため、兵器の開発は青天井の予算を投じて非常に早いペースで進められた。航空戦力に於いては新技術であるジェットエンジンとミサイルの発達に伴い、ドッグファイトのための機動力よりも敵機を振り切るマッハ2前後の超音速性能が求められ、F-100から始まる「センチュリー」シリーズと呼ばれる超音速機シリーズが誕生した。
当時はまだ大陸間弾道核ミサイルが実用化されていなかったため、主な脅威として想定されたのは核爆弾を搭載した高高度爆撃機であり、これを即座に迎撃するための要撃戦闘機には卓越した上昇性能が要求された。これに対しロッキードは、最小限の武装のみを備えた軽量の胴に極限まで空力抵抗を削ぎ落とす鋭利で小さな主翼を配した、一撃離脱の高速戦に特化した設計で応えた。
F-104として制式採用されたそれは、最大速度マッハ2.2(エンジン推力の限度ではなく耐熱性の限度であり、後の改良型ではマッハ2.4にも達する)と最大3万mを越える高度、そして高度1万6千m到達までわずか1分という凄まじい上昇能力を見せつけた。

そのような要求仕様を出したにも関わらず、仮想敵国と海を隔てる米国ではF-104の航続距離の短かさと搭載力の低さは不評で、ごく短期間の運用のみで退役となった。しかしその比類なき高速性能は東西緊張の最前線にあった国々では重宝され、特に西ドイツには総生産数の実に半数が配備された。
また専守防衛により国土付近での迎撃任務のみで航続距離を必要としない航空自衛隊に於いても、F-104は主力戦闘機として採用されている。

だが最大の配備先たる西ドイツも決してF-104の性能に満足していたというわけではない。要撃が主任務であるとはいえ、主力機として採用した以上は多用途に用いざるを得ず、結果として高高度・高速要撃を旨とするF-104の仕様に反する運用に就くことも多く、改良あるいは代替を求める声は少なくなかった。
とりわけ、高速性を最優先した小さく薄い主翼の代償としての低揚力による滑走距離の長さは、主任務たる要撃に於いても懸念事項となった。常に東側との戦争を想定していた西ドイツ空軍では、敵の攻撃により満足な滑走路を確保できない状況下での迎撃戦を想定して短距離離着陸性能が必要との論は根強く、F-104にロケットブースターを装備して専用発射台から斜め上に打ち上げるスクランブル装備などの実験も行なわれたが、実用には至らなかった。

そこでベルコウ社・ハインケル社・メッサーシュミット社は合弁事業体EWRを設立し、F-104をベースとしたVTOL機の開発に着手する。目標としたのはF-104の持つ高速度・高高度要撃性能を維持しつつ垂直あるいは短距離離着陸を可能とすることだった。独自設計ではなく既存機体をベースとしたのは開発期間短縮の目論見とともに、増大する防衛予算への批判を躱す目的があったと見られる。
基本プランは翼端に取り付けたジェットエンジンが垂直から水平へと角度を変えることによって離陸から飛行へと遷移するティルトエンジン式VTOLで、小型のエンジンを上下双発の形で組み合わせることにより前面投影面積を大きく増大させることなく、F-104に近い重量推力比を実現する目論見であった。
折しも同時期に英国でもVTOL機(ホーカー・シドレー ケストレル FGA.1)が開発されており、これは亜音速機であり西ドイツ空軍の求める要撃性能を満たすものではなかったため採用には至らなかったものの、VTOL向けとして開発されていたロールスロイスターボジェットエンジンについてはライセンスを得てメインエンジンとする計画となった。

EWR-VJと名付けられた試験機はF-104の胴体からエンジンを取り外し、主翼の先端にそれぞれ2基のロールスロイスRB.145ターボジェットンジンを配した。この小型のエンジンは1基あたりの推力こそ12.2kNとさほど高くないものの小型軽量であり、重量推力比ではF-104が搭載するJ79の倍にも達する。4基の小型エンジンは、J79単基とも遜色ない合計推力を生み出した。
F-104の刃のように薄かった主翼はエンジンポッドの回転軸を通すために厚みのあるものに作り変えられ、また回転軸を水平にするため下反角を付けた中翼配置から水平の高翼配置へと改められた。併せてディープストールを引き起こす原因となったT字尾翼も廃して低翼に配置し直している。
主翼前縁には翼端失速を防ぐドッグトゥースが設けられているが、レイアウト的に翼端からの気流剥離はエンジンポッドによっても抑止されるため、あまり意味がなかったようだ。

初号機は垂直離床からの水平飛行遷移でアフターバーナーなしに軽々と音速を突破し、十分に実用的な性能を示した。初号機は後に自動操縦装置の欠陥により失われたものの、二号機はアフターバーナー併用でF-104に迫るマッハ1.8を叩き出した。
三号機ではエンジンをより推力の高いロールスロイスRB.162へと換装しマッハ2を突破、上昇速度についてもF-104のそれへと迫ってみせた。

エンジンポッドが胴体から翼端に移動したことで重心モーメントが左右に分散し、空力による旋回能力自体はF-104よりも若干低下しているが、翼幅が短かいため分散化の影響は比較的抑えられており、代わりに左右の推力バランスを変動させることによる旋回補助が可能となったため、総合的には旋回性能の低下は見られない。チップタンクを失った代わりにエンジンを取り外した胴部後方へタンクを配置できるため、航続距離は却って延びた(ただし垂直離着陸に消費する分を考慮すると同程度ということにはなる)。

F-104がベースとなっているとはいえ推進系や制御系はまったくの新設計であり、F-104との部品共通性は3割程度に過ぎない。事実上の別機種であったが、予算承認上の都合で同機はあくまでF-104のヴァリエーションとされ、F-104Vの形式名が与えられた(これは米国に於けるF-86Dの事例が参考になったものと思われる)。
ロッキードの設計を流用しているため形式的に「ロッキードからのライセンス供与を受けた」体で西ドイツ内で国内製造されると共に、設計はロッキードへもクロスライセンスされ、独自に他国へF-104Vをライセンス供与することが認められた。

このため、F-104を導入している日本に対しても「改修」の体でF-104Vの導入が打診された。
地上基地から洋上へのスクランブル発進を主任務とする航空自衛隊では、特段VTOL能力を重視してはいないためF-104Vは性能試験機として少数を導入するに留まった。一方で海上自衛隊では以前から艦載機としてのVTOL取得に積極的な姿勢を見せており、F-104Vにも強い興味を示したものの、依然「空母」を持つことは専守防衛の原則に反するとして政治的に強い反発があったため戦闘機としての配備は断念し、代わりに機銃を下ろしてカメラを搭載した偵察型を艦上高速哨戒機として導入している。

超音速VTOL要撃機というコンセプトを高いレベルで実現したF-104Vではあったが、その後に核兵器の運用が爆撃から弾道ミサイルへと移行していったことによって防空要撃のドクトリンにも変化が生じ、マッハ2クラスの高速性能や搭載量の少ない軽量VTOL機の需要が減少したため、生産数は少数に止まった。



……という適当設定で作ってみたF-104改、「もしEWR-VJ101自衛隊に制式採用されたら」架空機である。機体としての設定はWikipediaとか読みながら適当にでっちあげたが、航空機の設計技術に詳しいわけでもないので不自然なところはご容赦願う。
新型機なのに新たな機種名にしなかったのは、F-104の通称名スターファイター」があまりに素敵すぎて、F-102デルタダガーとF-106デルタダートのように発展名を考えるのが難しかったから。

去年は架空戦闘車両を立て続けに製作し、架空設定でそれっぽく作る楽しさに目覚めたので、次は航空機をやってみようかと考えていたところ、たまたまWebでEWR-VJ101のことを知り、このキットも碌にない実験機を作ってみるのもいいかなと考えた。

計画

まずは改造プランを立てるために実機の三面図を探して、素体となる機種と改造先の図をカタログスペックに応じたサイズに調節してスケールを合わせ、重ねる。
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機種部分はほぼ同一なので流用はできそうだ。エンジンのない胴部はF-101よりもだいぶ細く絞り込まれており、垂直尾翼もカットされている。水平尾翼は取り付け位置こそ変わっているものの、形状的には流用できそうだ。
主翼はかなり形状が違う。類似形状のキットから流用するか、それともプラ板から自作するか……これは要検討。
問題はエンジンポッドで、こんな風に上下双発の配置はあまり例がない。BACライトニングの尾部は丁度良いのだが、エアインテイク部分は中央にショックコーンを置いた円筒形であり、VJ101のものとは異なる。
一番近いのはF8クルセイダーの機種直下インテイクで、これを半分のスケールで上下に置くとおおよそVJ101のエンジンポッドに近いイメージになりそうだ。

というわけで1/72 F-104を1機と1/144 F-8を4機購入。

F-8は機首と尾部以外を切り捨てるという、些か勿体ない使い方となる。

工作

最初に、F-104の胴体パーツからエアインテイクの膨らみを切り落とす。
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また併せて尾部も斜めに削ぎ落としておく。これには新規導入のエッチングソーが大活躍した(使い慣れないので早速1枚を折ってしまったが)。

機首側には先に操縦席を組み込むのだが、これは組み上がってからでは塗れないので、先に操縦席だけ塗装を済ませる。
シートには1mm幅に切ったマスキングテープを貼ってシートベルトを追加。計器・スイッチ類はスミ入れした後で適当に白や赤を点々と乗せる。コンソール中央のレーダーはクリアの蛍光グリーンで塗った。
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操縦席と前輪部を組み込んで機種を組み立て、後半と接着して胴体を組んでゆく。後半は腹側に主脚の引き込み部があり、本来ならば上側3/4周分と引き込み部の土台で機首側とがっちり接着されるようになっているのだが、左右エアインテイクを除去した結果として接着面積が背側の幅1cmほどと腹の引き込み脚基部しか支えがなくなってしまい頼りないことこの上ない。とりあえず接触部を瞬着で固めて補強しつつ、空いた部分を埋めて強度を確保することにする。

VJ-101に準拠するなら胴体後半は細身になるはずなのだが、F-104の主脚を流用する都合で引き込みスペースの幅より細くすることはできないので、F-104の胴径に合わせて成形する方向で行くことにした。
超音速機は音速付近での抵抗を軽減するために主翼付近で胴体を絞って全体の断面積変化を抑える「エリアルール」を採用するものであるらしいが、結果としてはそれを無視した形状になってしまった。だがまあF-104自体がエリアルールをあまり考慮していなさそうな形状であったし、アレはあくまで音速付近での抵抗に関わるものであるためマッハ2超の音速機ではアフターバーナー等で強引に音速を超えてしまえばあまり関係なくなるという情報もあり、細かいことは気にしないことにしよう。

穴をパテで塞いで形を整える。中まで充填すると消費量が多くなりすぎるので、盛るのは表面のみに留めたい。しかし胴パーツを接着してしまった後では裏打ち材を貼るのが難しいため、プラ棒を寸断して詰め込むことで芯材とし、その上にパテを盛ることにした。尾部も同様に、まず中央へ構造材を接着し、そこに水平尾翼を取り付けた上でパテで塞ぐ。
芯材を入れて軽量化を図ってさえ、パテの重みは決して少なくない。機体を支える主脚は機体全長の中央に近い位置にあり、その先にはまだ4割ほどの長さが残っている。そこへ胴中央〜尾部にかけてパテを詰め込んだことで重心が主脚よりも後方に移動し、尻餅を搗くようになってしまった。
これでは展示に問題があるので、機首側の重みを増やすべく操縦席の隙間から錘代わりのパテを充填することで重量バランスを調整。

パテをやすっては盛り、胴をできる限り滑らかに仕上げてゆく。本当ならば胴体の完成後に脚を接着すべきだったのだろうが、形状を検討する都合もあって先に脚を接着してから胴体を成形したために、切削中にうっかり負荷をかけて脚を折損してしまった。前脚はそのまま紛失したため真鍮パイプとアルミパイプで作り直し、カットした丸棒にパテを盛ってタイヤを作る。また後脚もフレームに合わせて真鍮線を瞬着で貼り付けて補強。
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本体と平行してエンジンポッドも作ってゆく。F-8の機首と尾部をカットし、操縦席は不要なので上半分をさらにカット。これを2機一組で接着して隙間をパテで埋め、エンジンポッドの形を作る。
表面を整えたところで回転軸を通す3mmの穴を穿ったら、パテが割れてしまったので瞬着で接着して成型し直す羽目に。
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削り/埋めてしまったモールドはエッチングソーで彫り直してみた。スジ彫りテープを貼ったりしてはみたが曲線に沿って直線を貼るのは難しく、あまり綺麗に彫れたとは言えない。

本体に主翼を取り付ける。VJ-101に倣って高翼配置とするため、胴にピンバイスで穴を空けて翼の基部を差し込むためのスリットを作り、差し込んだ翼と胴との隙間をパテで塞いで固定。
エンジンポッドの回転軸を考慮するとF-104のカミソリ翼ではあまりに薄すぎるので、F-8の使わない主翼をカットして上下から貼り付けることで厚みの確保を試みた。翼形が異なるため全体を均一には覆えず翼断面がだいぶ謎なことになっているが、エンジンポッドのおかげで断面をはっきり確認できないのであまり気にしないことにしよう。結果としてF-104の台形翼ともVJ-101の後退翼とも異なる翼形になった。
それでも回転軸を貫通させるには厚みが不足するので、翼端に3mmプラパイプをカットして接着、基部をパテで滑らかに成形しておく。

脚以外の細かい部品を接着してゆく。主脚のハッチは、一度前方が開いて脚を出してから閉じるものらしい(それにしてはハッチ部品の曲面が胴と合わない)が、基部には油圧配管が覗き見えるため先にこれをざっと塗装してからハッチを閉じる必要がある。どうも航空機はそういうの多いな……

ほぼ形状が完成したので下色として全体をアルミシルバーで塗装してみたら、なんか「安いおもちゃの飛行機」感が出てしまった。エンジンポッドが翼端にあり細長いデザインも60年代特撮っぽさがある(実際に60年代の機体なわけだが)。塗装でどうにか実機ぽい雰囲気にできるのだろうか……
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とりあえず図面に色を重ねて配色を検討。付属デカール自衛隊とカナダ空軍の2種なのでそれを元にマーキングする前提で自衛隊っぽい塗装にしようかと思うが、架空機なので部分的には適当なカラーリングをでっち上げなければならない。
エンジンポッド先端はF-104のエアインテイク塗装に準拠して黒で塗り、赤矢印のコーションマークを貼る。F-104ならばショックコーン前方位置へに先端を前向きに貼られるところだが、本機の場合はそこへは貼りようがないのでエンジンポッド側面へ逆向きに貼ることになる。
箱絵を参考にマークを貼ってみると、のっぺりとしてオモチャ然とした雰囲気が俄に精密な雰囲気になる。細密デカールすごい。
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ただ、ハセガワのデカールは日の丸の白縁を「白丸の上に赤丸を重ねて貼る」形で再現するのが辛い。恐らくは隠蔽力と発色を優先しての仕様なのかとは思うが、位置決めに神経使うので一体化して欲しかった(実際にずれて貼り直した結果、破れて大変なことになってしまった)。またキットが古かったのかなんなのか、水に浸しても部分的に台紙から剥離しない箇所があり、色々と難儀した。

ともあれ、全体にマーキングを施してみると、(塗りやパテ成型痕の粗さに目を瞑れば)意外と「それっぽく」見えるものだ。
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芦ケ久保の氷柱

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埼玉県秩父地方には、山中に氷柱の並ぶ奇景がある。
三大氷柱と呼ばれるもののうち、天然のものは二瀬ダム下流荒川沿いの崖に連なる「三十槌の氷柱」のみ。
残る2箇所は水を撒いて凍らせた人工のものだそうだが、規模として最大のものは尾ノ内氷柱で、こちらは吊り橋上から氷柱を眺めることができる。
つまり芦ケ久保の氷柱は、天然のものでもなく最大規模のものでもない、ということになるわけだが、その代わり他2箇所にはない強みを持つ:「アクセスの良さ」だ。

三十槌の氷柱は、西武秩父駅から秩父鉄道に乗り換え22分、三峰口駅からバスで45分ほどの場所。
尾ノ内氷柱に至っては関越道花園ICから100分、あるいは西武秩父駅からバスを2本乗り継いで更に徒歩20分の距離。
だが、芦ケ久保の氷柱は西武芦ケ久保駅から徒歩で10分と、格段にアクセスが良い。池袋駅から片道1時間半、悠々と日帰りできる距離だ。

www.yokoze.org

夕方17時半からはライトアップが行なわれており、本日が最終日だったので行ってきた。

池袋から西武池袋線で飯能へ。
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西武秩父線に乗り換えて芦ケ久保で下りる。
山間の駅で、駅前には何もない。道に沿って少し歩くと道の駅的な建物が見え、ここの売店および食堂が、近隣で唯一の商業施設である……のだが、なんと夜間ライトアップイベントを実施しているというのに18時には食堂が閉店してしまう。ライトアップを観るなら予め腹拵えをしておくか、列車に乗る前にどこかで軽食を買っておくこと。
売店の方は、19時時点ではまだ開いていたが、おにぎりやサンドウィッチのような軽食はあまりない(既に買われたのかも知れないが)。最後に残ったコロッケバーガーと、磯部餅や「みそポテト(マッシュポテトの天ぷら串にみそタレをかけたもの)」で飢えを凌いだが、手を汚しやすくあまり食事向けではない……営業時間も含め、観光アピールするならもうちょっと改善されたい。

駅からの坂を下った先で受付が行なわれるが、会場はそこから坂ひとつ越えた先。道は舗装こそされていないが歩きやすく整備されてはおり、足元に不安はない(とはいえハイヒールは推奨しないが)。西武鉄道秩父方面線路を潜った先が氷柱の会場である。「暗くなるのを待たないで先へ進んでください」というアナウンス。

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山奥のローカル線というのは、それだけで絵になる雰囲気がある。

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入口付近に鳥居。正面からも撮ったが、このあたりで記念撮影する人が多く写り込んでしまうので割愛。

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刻一刻と色を変える照明が、立ち並ぶ氷柱を彩る。

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ハート型の撮影スポット。
この付近には三脚使用可能エリアも用意されている。

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足元を照らす灯りもなかなかに雰囲気が出る。

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帰りの便は30分に一本しかないので時間を忘れずに。

まほり

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意味の掴めぬタイトル。黒バックに禍々しく紅い円が乱舞する装画。いかにもホラーめいた佇まいだが、本書はホラーというわけではない。では何なのか、というと……

作者の高田大介はファンタジー作品「図書館の魔女」でデビューを飾った。しかし本書はファンタジーでもない。
高田の本職は対照言語学者であるが、本書は言語学ものというわけでもない(あながち無関係とも言えないが)。
では何か、というなら「民俗学ミステリ」というのが最も納まりの良い説明だろうか。

読み始めると、まず文章の巧さに舌を巻く。潤沢な語彙に支えられた幅広い表現力。普段読み慣れぬ書かれ方ではありながら、しかし意味を捉えかねるようなことはなくスッと頭に入ってくる。
表現だけではなく構成も巧みで、章ごとに興味を引き付ける謎を示し、さりげなく伏線を織り交ぜながら、複数のまるで無関係な道筋が一点へと収束してゆく。

主人公は社会学を志す大学生で、主に数理的な解析を得意としている。ゼミの卒研で「都市伝説の伝播と変容」という広範なテーマを掲げたグループの手伝いに引き込まれ、調査範囲の絞り込みを検討する流れから、気になる「実体験」を聞く。それは自身の郷里に程近い、群馬県は奥利根地方のとあるお堂での出来事で、それに興味を持った彼は夏休みを利用して地元へと戻り、お堂の由来を調べるべく図書館を起点に文献調査を開始するが……

寺社仏閣の来歴というものは真贋確かならざるものが多い。というか「確かな来歴を伝える」方が稀なぐらいではないか。時代の都合に合わせて様々に変貌し、それに応じて来歴が「整えられる」こともしばしば。
そもそも史料文献というのは、「書かれたという事実」はあっても「書かれたことが事実」ではない。まったくの嘘ではないとしても、都合良く書き換えられたり都合の悪いことは書かれなかったりする。それを様々な文献と突き合わせて傍証を拾い集めることで検証してゆくのだが、そのためには「関連する文書」を知悉しておかなければならない。その文書が書かれた時代、その文書に書かれた時代、その地方に何があったのか。地方史を記した膨大な文献史料は当然ながらテキストデータどころか活字でさえなく、検索できる範囲には自ずと限度がある。
一介の学生の手には余る専門分野を導くのは博覧強記の学者たち。一を尋ねれば十が返ってくる、立板に水の如く繰り出される膨大な情報はいずれも実在の史料で、それらが様々な角度から奥利根地方の過去を紡ぎ出してゆく様は心踊るのだが、同時にここを詳しく語ることはネタバレにもなるので紹介は控える。

この地方にどのような「隠された」歴史があり、それは主人公の境遇とどう繋がってゆくのか。中学生の目撃した少女とは。そして「まほり」とは何なのか。
あとは、自分の目で確かめられたい。

ソウルオブエデン初心者のための基本戦術解説

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ソウルオブエデン(以下「ソルエデ」)は、いわゆる「クラロワ系」と呼ばれるタイプのリアルタイム対戦ゲームだ。

時間経過と共に増加するリソースを消費して手元のユニットカードを場に出すと、自動的に相手の「守護者」めがけて進軍、範囲内に敵ユニットがいればそれを攻撃する。先に相手の守護者を倒した方が勝ちとなる。
プレイヤーが操作できるのは基本的に「どのタイミングで」「どの種類を」「どの場所に」出すかという点のみ、あとは自動で戦闘が行われるのを見守るだけ(とは言いながら、数秒ごとに何らかの操作をすることにはなるのでそれなりに忙しない)。

この手のゲームでは、嚆矢となった「クラッシュ・ロワイヤル」に倣ってファンタジーをモチーフとすることが多いが、ソルエデはSF風とファンタジー風の両方が合わさったようなイメージになっている。機械ユニットを多く持つ人間種族「共和国」と虫や軟体生物のようなイメージの生命体「異種」、魔法を使う人間種族「帝国」に獣人の集団「獣族」、4種族はそれぞれにカード種類の半数ほどを共有している。ミニチュアゲーム「ウォーハンマー」をご存知ならば「40KとAoSの混ざったような」、PC系RTSで言えば「スタークラフトウォークラフトを合わせたような」と言えばイメージしやすいだろうか。
また種族ごとにはっきりした戦術の違いがあり、それらを使い分けながら対戦してゆくことになる。

基本的なルールは、クラロワをご存知の方ならば「戦場が分断されずタワー1本」「デッキは30枚で循環なし」「ユニット配置時、画面をなぞることで分散して配置できる」といった違いを押さえておけば問題なくプレイできるかと思うが、この手のゲームに不慣れだと勝ち方がわかりにくいかも知れないので、少し解説しよう。

隊列の基本形

ソウルオブエデン(に限らず、この手のゲーム全般)ではユニットは自動で行動するため、倒したい敵を狙ったり仲間に庇わせたりといった細かいコントロールはできない。
その代わり、出すときの位置関係を工夫することによって有利な状況を作り出すのが基本テクニックとなる。

各ユニットは自動的に周囲を認識し、「最も近い敵」を狙う。この性質を利用して、HPの高い近接ユニットを先行させ盾代わりとし、後列から射撃ユニットが援護射撃を行なうように陣形を組む。
こうすると敵のダメージは硬い盾役に集中するので、攻撃役は盾が破壊されるまでの間安全に攻撃を続行でき、またそれによって盾役を攻撃する敵を効率良く排除できるため盾の生存性も高まる。
この「前盾/後射」隊列はすべての基本となるので、しっかり押さえておこう。
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ユニットの右上には赤い剣/青い盾/黄色い剣・盾のマークがあるが、これは「ダメージが高いがHPが低い」攻撃タイプ/「HPが高いがダメージが低い」防御タイプ/「どちらもそこそこ」バランスタイプを表している。基本的には、盾マークのあるユニットを前に、剣マークのユニットを後ろに出してゆくといいだろう(ただしユニットの能力によっては使用感がマークと異なる場合もある)。

相性

ユニットは、その性質によって得意な相手・苦手な相手がある。
たとえば一撃の火力が高いユニットは高HPの的も素早く倒すことが可能だが、小型ユニットの群れを相手にすると手数の少なさが仇となって効率が著しく落ちる。
逆に小型ユニット群は一撃のダメージこそ低くとも数の多さを活かした手数で瞬く間に対象のHPを削り取るが、範囲攻撃を受けると一斉に消し飛んでしまう。
範囲攻撃は群れ相手には強いが、その分だけ単体への火力は低めであることが多く、高HPの盾ユニットで受け止められると削りきれない。
それぞれの特性を理解して、有利な組み合わせで当たれるように研究しよう。

受け

攻める時はただ手札のユニットで陣形を作ればいいとして、問題は「攻められた時」だ。ここで対処を誤って、あるいはそもそも対処できずに、そのまま負けてしまう人が多いように見受けられるので、相手の攻撃を「受ける」方法を解説する。

実は、受けに於いてもやることは攻めの場合とそう大きく変わらない。基本は「盾で攻撃を受け止め、火力で削る」だ。相手のユニットが攻撃を開始する前に、その視界内に盾ユニットを配置することによって相手の攻撃を引き付け、その後に相手ユニットを確実に射程内に捉える位置へこちらの攻撃ユニットを出すことで、安全に効率よく敵を殲滅する。
ただ、攻撃の時とは異なり敵が近づくまでの間に手筈を整えなければならないので、最良の組み合わせを選んでコストを貯める余裕はない。相手の出方に合わせて、今ある手持ちで凌ぐ方法を考える必要がある。

まずは手札を確認しよう。ユニットカードは何枚ある?ダメージスペルはある?

→盾ユニットと攻撃ユニットがある

まずは盾を敵軍の前に出してターゲットを取り、攻撃を受け止めよう。そして敵ユニットに近い位置に火力ユニットを出してダメージを集中させれば、相手の侵攻を止めることができる。
このとき、大事なのは「焦ってコストが貯まらないうちに出さない」こと。1コスト貯まるのには3秒ぐらいかかるので、先に盾を出してしまうと援護ユニットが出るまでに3〜10秒ぐらい、盾が撃たれ続けることになる。だいたい1〜2秒ごとに1発攻撃されることが多いので2〜5発ぐらい無防備に殴られる計算だ。その分だけ盾が盾として機能する時間が短くなってしまう。盾を出したらすぐに支援部隊を出せるよう、コストは貯めてから動こう。

問題は盾と攻撃ユニットとが揃っていない場合だ。その場合はちょっと受けが難しくなる。

→盾ユニットはあるが攻撃ユニットがない

この場合、盾ユニットは自分の守護者直前に出そう。すると相手が足を止めて攻撃を始める位置が守護者の攻撃範囲に入るので、守護者を援護射撃代わりに使うことができる。
またダメージスペルがある場合、盾を出して相手を足止めしたところにスペルをぶつけると確実に仕留めることができる(スペルは位置指定してから実際にダメージが発生するまでにタイムラグがあるため、足止めせずに使用すると思ったようにダメージを与えられず範囲から抜けられてしまうことがある)。

→攻撃ユニットはあるが盾ユニットがない

盾はなくてもユニットが2枚以上あるなら、攻撃ユニットのひとつを盾代わりに使おう。しかし盾ユニットほど長くは保たないので苦しい戦いにはなる。
もし攻撃ユニットが1枚しかない場合、仕方ないので守護者を盾代わりに使おう。つまり相手が守護者に攻撃を始めるまで待ってから攻撃ユニットを出すことで、ユニットがダメージを受けずに一方的な攻撃ができる。
その代わり守護者がダメージを受けてしまうので、相手が高火力だとそのまま負けてしまうこともある諸刃の剣。なるべく使わないで済むに越したことはない戦術だ。

→攻撃ユニットも盾ユニットもない

この場合もう仕方ないので、安いカードを無駄に使ってでも新しいカードを引くしかない。なるべくそうならないように、デッキを組む時はユニット以外のカード枚数を少なめにしよう。

プレイ中の戦術ではなくデッキ構築時点での話になるが、「使う場面がなく手札で腐った」「コストが高くて出すに出せなかった」などで使えない場面のあったカードは1枚減らし、「この場面でこのカードがあれば防げたのに」と思う場面があったカードを1枚増やす、という感じで調整するといいだろう。

→大型範囲ユニットへの対処

不慣れだと対処の難しいユニットが、範囲攻撃を持つ大型近接ユニットだ。たとえば「ソウルリーパー(5)」「マンモス兵(6)」「顔なき聖者(7)」「ヤコブ(8)」など。
通常ならば大型ユニットは手数差を利用して小型ユニットで取り囲むのだが、範囲攻撃ユニット相手にそれをやると一網打尽にされかねない。
しかし、こういう相手にも「前盾/後射」の基本セオリーは有効。丈夫な盾で敵を足止めしてダメージを1体に止めつつ、範囲攻撃の射程外から射撃を集中させて仕留めよう。

→回復持ちへの対処

「ソウルリーパー(5)」「ヒルキング(6)」「ゴリアス(6)」など、攻撃や撃破のたびに回復するユニットは予想以上に倒すのが難しい。
「撃破回復」の場合は、撃破されなければ回復しないので前盾/後射で対応できるが、攻撃回復型のヒル系などは逆に火力が不足すると倒せないので盾よりも火力型で直接殴った方が有効性が高い。

→前盾/後射への対処

非常に有効性の高い前盾/後射隊列だが、当然ながら敵も使ってくる。そうするとこちらの火力は盾に吸われ、後ろに控える主力からの攻撃でみるみる削られてしまう。
そうさせないためには相手の隊列を崩す必要がある。
一番手堅いのは「自陣側に引き込む」やり方。ギリギリまで敵を引きつけておいて、盾を無視して無防備な後列に火力ユニットをぶつけ、あるいはプステルやボムカツなどで処理する。
指定範囲に直接ダメージを与えるスペルなどがあれば、それを後衛に使うのも良い。

デッキ構築

デッキのバランス

理想的なバランスはプレイスタイルによっても異なってくるが、目安としては盾ユニットと火力ユニットのコスト合計が「盾2:火力3」ぐらいのバランスを目指し、またスペルや建物、回復ユニットなど直接的な火力を持たないカードは合計で10枚以下にしておいた方が良いだろう。
方向性が定まるまでは、1戦ごとに「手元にあったが使い所がなかった」カードを減らし、「この場面で欲しかった」カードを増やすなどして調整してゆこう。

種族ごとの特性

種族はそれぞれに特徴があり、それを活かした戦い方ができるように組むと大きな力を発揮する。
ただし、やり過ぎには注意:コンセプトを尖らせすぎると、上手く行った時は強いが対応できない場面も増えてしまう。主力以外は程々にして、幅広い対応力を目指した方が結局は勝率が高まる。

共和国(守護者スキル(3):降下地点にダメージ+マリン隊4体出現)

初撃のみ大ダメージあるいは特殊な打撃を与える「ファーストアタック」に特徴がある(スナイパー、暗殺者、ステルスブラスター、ステルスストーマー)。また、発動済みのファーストアタックを再発させることのできる「コマンダー」による不意討ちも強い。
盾ユニットや射撃ユニットが揃っているため序盤から隊列を組みやすい点は初心者向け。また指定位置に範囲ダメージを発生させるスペルが充実しているため、後方からの厄介な支援を潰しやすいのもありがたい。

異種(守護者スキル(2):範囲7の敵ユニットスタン)

盾となるユニットが少ないが、「ダメージを与えるたびに回復する」ユニット(ヒルヒルキング、バーンズ姉妹)などがスペック以上の硬さを発揮する。また敵ユニットを乗っ取る「コントロール」、倒した敵をマゴットに変化させる「マゴットクイーン」、敵も味方もプステルに変えて爆発させる除去スペル「プステル変化」などトリッキーなカードが多い。
召喚すると自軍守護者にダメージを与える代わりに低コストで高性能な「ソウル」系、守護者HPが30%以下だと強いがそうでない時はHPが半減する「アボミネル」系など、強いが使い所の難しいカードも多い。

獣族(守護者スキル(1):範囲7の味方を毎秒回復)

ユニットを生産する建物を多く持つ。またHPが半減すると攻撃速度が上昇する「狂暴」ユニット(ヒヅメ、ラービ、ヘコキツネ、ウルファイター、キョウタチ、ドンクサイ)が多く、それを強化するスペル「捧血の儀」と組み合わせると爆発的な火力を叩き出す。
反面、全種族で唯一、敵ユニットを除去する手段を持たないため大型ユニット対策が悩ましい。

帝国(守護者スキル(2):範囲10の味方を火力強化)

味方ユニットが登場するたび強化される「センサー」を持つユニットが非常に多い(テミス、ホーリーガード、ダークシールダー、荒野の魔女、災厄の使者、パンチタンク、フォレストアーチャー、シールダー、破城槌、アックスウォリアー、ヒルダ)。
また補助系スペルが充実している。反面、指定位置へダメージを与える術がないため敵の後方支援対策には苦労する。

平均コストの目安

ソルエデは他のクラロワ系と異なりデッキが循環しないので、30枚を使い切ったらもう何もできない。そのため低コストカードを中心にした高回転編成などは避けた方が無難と言える。
ゲーム開始時のコストは7、以降「10秒あたり3」の割合(後半2分は倍速)で回復するので、1戦中に利用可能なコストの合計は最大で115(初期7+前半2分=36+後半2分=72)。これをデッキ枚数の30で割ると3.83...となるので、これを下回る平均コストでデッキを構築すると手札が尽きる恐れがある。
もっとも、必ずしもコストが貯まり次第消費し続けるとは限らず、相手の出方を待って10貯まっていても動かずにいる場合などは、使えるコスト上限がもっと下がることにはなる。

防災備品を揃える

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これまでの人生で、災害によって避難を強いられたことは(水害などでの予備的なものも含め)一度もなかったが、いつ来るとも知れぬのが災害というものではある。
以前から備えが必要という認識はあり、保存食などを試したこともあったが、一揃い整えるとなると結構な出費となるし、またアウトドア系の用品などに詳しくないため「どのようなものを買っておくべきか」がよくわからないということもあって放置気味であった。
しかし、先日の地震もあって改めて防災用具をという意識になったところで、勢いを付けて買ってしまうことにした。

まずは、買い揃えるべきものをざっくりリストアップしてみる。
これには首相官邸の防災情報や、東京都の防災冊子などを参考にしている。

備蓄

主に自宅内で、ライフライン復旧まで待機する前提でのストック。持ち出しは(安全に回収可能でない限り)想定しない。
ストックは多いに越したことはないが、あまり買い込むと置き場にも困るし、ローリングストック(古いものから順次消費しつつ新しいものを買い足す)にしても消費し切れないので、とりあえず3日程度を目安にすれば良いかと思う。それ以上はまあ、政府/自治体がなんとかしてくれるはずだ。

飲料水

1人1日3リットルが目安だそうなので、×人数分×3日分。

食品

カップ麺やレトルト食品など日持ちの良い日常食などを、最低3食×3日×人数分。これは日常の買い置きも兼ね、随時消費しつつ入れ替えてゆくのが望ましい。

生活消耗品

トイレットペーパー、ティッシュペーパー、カセットコンロ用ガスなど。もっとも、これは常時2週間分程度がストックされているのではないかと思われる。
唯一ストック分量がわからないのがカセットガスだが、岩谷の防災情報に拠れば(気温次第だが)だいたい2人分あたり、1日に1本程度の消費と考えれば良さそうだ。

持ち出し用品

避難時の持ち出し品は、家族で1セットあれば良いものと個々に1セットづつ持つべきものに区分できる。

各自1つ用意するもの

靴底のしっかりした、足に合うもの。普段から履き慣らしたものが望ましいが、非常用として別途用意するとなるとどうしても新品かそれに近くなってしまう。「寝る時はいつも枕元に普段履きの靴を置く」習慣を作るか、非常用の靴を別に慣らしておくか。
瓦礫を歩くことも想定すると鉄板入りの「安全靴」もしくは「踏み抜き防止」インソールがあると安心感が高まる。

寝袋

避難所で布団が得られるとは限らないので、最低限の寝具として寝袋を用意しておきたい。
寝袋にはすっぽり全身を包み顔だけ出す「マミー」タイプと長方形の袋状になっている「エンベローブ」タイプがあるが、長期使用を想定すると拘束性の弱いエンベローブの方が寝やすいのではと考える。
保温性の高いものほど厚みがあるため嵩張り、また重くなる。屋外ではなく避難所内で使用するため、防寒性よりは持ち運びの負担軽減を重視したい。長期使用による汚れを鑑みると洗濯可能なものが望ましい。

マット

床上に直で寝袋を敷くと背中が硬く、また底冷えするため断熱とクッションを兼ねたマットは必須。
マットにはいくつか種類があり、それぞれに特徴がある。

  • 銀マット
    • 発泡性のクッション材にアルミシートを貼り付けたもの。コンパクトで断熱性を有するがクッション性は弱い。
  • エアーマット
    • 空気を入れて膨らませるマット。空気を抜けばコンパクトになり、クッション性は高いが断熱性はやや弱い。息で膨らませるのは大変なので足踏みポンプ内蔵が良さそう。
  • インフレータブルマット
    • 内部に発泡ウレタンスポンジが仕込まれており、栓を空けると自動的に空気を吸い込んで膨張する、エアーマットの一種。スポンジなしのエアーマットに比べ重量と圧縮率は低くなる代わりに、膨らませるのが楽で、クッション性・断熱性は高め。

特徴を鑑みてインフレータブルマットを選択した。面積が大きいほど寝やすいと思われるが重く嵩張ることにもなる。厚さは3cmでは不足、5cmあれば足りるというが商品の一覧に5cm程度のものが見当たらず、ひとまず8cmを試す。嵩張りすぎに思われたらもう少し薄いものを探そう。

ヘルメット

落下物から頭部を守るために。家から被って出るのでコンパクトである必要はないが、畳めるタイプの方が室内で邪魔にならないとは思う。

避難用バッグ

手を空けておけるよう、背負い式のものを。
これには以下のような装備一揃いを入れておく(寝袋やマットなどは嵩張るため、これとは別に持つことになる。可能であればリュックの上か下に括り付けたいが)。

椅子

直に床へ座る生活は長く続けるといささか辛くなろうかと思われるため、折り畳み式の椅子を用意したい。背もたれのあるものを用意できれば最良だが、大きいほど持ち出しにくくもなるので、コンパクトさを優先して。
バッグと折り畳み椅子がセットになっているものがあるので、それらを用意することを考えている。

アルミブランケット

防寒の不足に備えて。薄く軽量で邪魔にならず、体温の熱を外に逃がさないため冬場の体温維持に1枚あると安心できそう。

眼鏡

我が家は全員近視なので眼鏡は必須。新調した時に、以前のものを予備用に回してバッグに入れておきたい。

簡易トイレ

断水時も速やかに仮設トイレなどは用意されるとは思うが、それまでの急場凌ぎとして1回分程度は用意しておいた方が良いのではなかろうか。

飲料水

避難当初まだ配給も儘ならない時期を乗り切るため、備蓄とは別に500mlのペットボトル1本でいいので各自持っておく。

非常食

水も火もなしに食べられるものを、最低でも1食分(可能なら3食ほど)。
しかし水も火も要らない保存食はだいたいレトルトパックや缶詰となるため少々重く、各自の持つ分に1日3食分以上を配備するのはあまり現実的でないように思われる。
たとえば白米・レトルト・缶詰・加熱用発熱剤をセットにした「レスキューフーズ」は1食分600g、1箱あたり12.5*16.5*6.5cmと結構な重さ・大きさである。これで3食を揃えるとバッグ容量の大半が埋まってしまう。

重量を抑えるなら、一部をカップ麺やアルファ化米などに置き換えるのも良いだろう。
カロリー補充用おやつ

カロリーさえあれば当座は凌げる。また心理的にも甘味が用意できると心強い。
チョコレートは暑さで溶けにくいものを。

箸・スプーン

弁当用のプラ製カトラリーで十分なので、1セットづつ用意しておく。

モバイルバッテリー

当座のスマホ充電用と、何らかの形で電源が供給されるならそこで充電・蓄電できるように、モバイルバッテリーは各自用意しておきたい。

家族で1つ用意しておくもの

ラジオ

大規模災害時は通信インフラも遮断される可能性が高い。通話回線がパンクしていても使えるTwitterやLINEは心強いが、それも電波が通じればこそ。
最後の情報源はラジオ放送に頼るしかない。もちろんラジオアプリは(放送電波を受信しているわけではなくインターネット経由なので)使えない。受信機を備えたラジオは防災用品に必ず入れておきたい。
比較的電池の消費は少ないと思うが、できれば手回し発電/ソーラーパネルを備えた防災ラジオだと安心感がある。

懐中電灯・ランタン

停電状況下を歩かねばならぬ可能性も低くはないので懐中電灯は必ず用意したい。
また、前方のみを照らす懐中電灯は避難生活空間を照らすにはいまいち向かない。水を入れたペットボトル(少しの濁りがあれば尚更効果的)で散乱させる方法もあるが、最初から周囲を照らせるランタン機能があるものなら尚良い。
これもソーラーパネルなどを備えていると安心できる。

誰かが外に出ているあいだ待っている人が灯りを使えないというのも不便なので、最低2つは用意しておこう。
水タンク

水は生命維持に不可欠だが、断水していると給水所まで汲みに行かねばならないので水容器は必須となる。
一人あたり3リットルが目安とのことであるから家族人数を鑑みれば10〜20リットルぐらいが必要だが、それはそのまま手にかかる重量でもあるので、あまり大きいものだと却って困難ではなかろうか。
また、水を使うたびに容器を傾けるのは面倒なのでコック付きのものにしたいが、必然的に水の取り出し位置が底に近くなるので床に直置きでは水が出せなくなる。何か台になるものも用意しておくか、台座がセットになったタンクを購入するといいだろう。
ハードタンクの方が安定感は高いが、非使用時に嵩張るのが欠点。できれば中が見える透明なものにしておくと水の残量が把握しやすくなる。また広口なら使用後のメンテ性も高いし、なんなら持ち出し品の幾許かを中に入れておくこともできる。

テーブル

食事にせよ水タンクにせよ、床に直置きでは色々と不都合なのでテーブルのひとつぐらいは用意したい。なるべく小型軽量、かつ水タンクを支える程度の耐荷重が要る。

カセットコンロ&ガスボンベ

いかに非常食と雖も、加熱調理なしで食べ続けるのはしんどいものがあろうし、水で作れないことはないアルファ化米やカップ麺でも可能ならば湯を使いたい。
アウトドア用の、携帯型ガスコンロとボンベ数本ぐらいは用意しておきたいところ。

クッカー

ガスコンロだけあっても調理はできないので、アウトドア用の軽量コンパクトな調理器具を買っておきたい。
底面に熱伝導性を高めるヒートエクスチェンジャーのあるものだとガスの熱を効率良く使えて湯沸かしも早い。

カップ

飲み水などのためにカップも必要だろう。一人にひとつまでは要らないとしても、1〜2個ぐらいは欲しい。

食器

基本的にはレトルトも袋から直接食べたり、袋麺などは鍋から直接啜ることになろうかと思うが、皿がある方が食べやすいのは確かだ。荷物が増えてでも用意するなら、破損に強いメラミン樹脂皿が良いのではないかと思う。

洗い物に使う水も勿体ないのでラップをかけるなどして使ったという話も。
ソーラー充電器

可能であれば日光でスマホを充電可能なソーラーパネル充電器を用意したい。タブレット用だと5Aクラスの出力が必要になって条件が跳ね上がってしまうが、スマホに限れば2.1A程度で行けるのではないか。

35mm f0.95で小田原観光を

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これまでも度々「汎用レンズ」を追及してきた。1本でポートレートからクローズアップ、テーブルフォトに風景まで、日常的なあらゆる用途を1本でこなせるレンズはあるか。
なるべく焦点距離の幅が広く、なるべく最小F値が小さく、なるべく最大撮影倍率が高く、それでいてなるべく軽く……もちろんそんな万能レンズはどこにもないので、何らかの性能に妥協することで他を可能な限り高いレベルでバランスさせることになる。
今回は「焦点距離の幅」と「オートフォーカス」を捨てることで、それ以外を満遍なく押さえたMF単焦点レンズを使ってみたい。

ボケるレンズを求めて

「35mmフルサイズはボケる」とはよく言われる(実際には「同じレンズならどんなフォーマットでもボケは同じ」なのではあるが、計算上「同じF値で同じ画角の」レンズを使うならば、APS-Cに対して1.5倍、マイクロフォーサーズに対して2倍のボケ量ということにはなる)。
ボケることは必ずしも利点とは限らず、たとえばボケすぎて絞らざるを得ないことでシャッタースピードの不利を被るような場合だってあるわけだが、しかし一方で「ボケの強さによる立体感」、被写体の背景からの浮き立ちはやはり魅力的な要素ではある。
もちろんマイクロフォーサーズでも、撮り方によってはしっかりとボケを得ることは可能だ。とはいえ「同じ画角、同じF値であればボケ量は半分」であることの制約は否めない。
半面、マイクロフォーサーズの利点である「同じ画角、同じF値ならレンズを小さくできる」ことを生かせば、安価軽量な大口径レンズによってボケ量の不利を補うことも不可能ではないはずだ、ということになる。
そして実際、マイクロフォーサーズには多種多様な大口径レンズが揃っている。

7Artisans(七工匠)の35mm f0.95は、F値が1を切る非常に明るい大口径でありながら、重量400gを切るコンパクトなレンズである。35mm(すなわちマイクロフォーサーズでは換算70mm)という「標準よりは若干望遠」域であることも、ボケ量にはプラスに働く。
風景などを撮るには若干狭くなるものの、望遠レンズほど致命的に画角が不足するわけではなく、逆に周囲が切り落とされる分だけ被写体に集中できる利点もある。最短撮影距離34cmでは画面一杯で10cmほどの範囲とまずまずのクローズアップが可能で、だいたいの状況には対応できそうだ。
今回は、これ一本での観光を試みたい。

ファーストレビュー

外箱は一辺が10cmの白い立方体で、上端から3cmの位置に2mm幅のスリットがあり、内箱の赤色が覗く。箱は1mm厚の厚紙にマットなシールを貼り合わせた構造で、被せ式の蓋は内径の内箱にぴったり合わせてあり、その精度へのこだわりはレンズの品質にも通底するものを感じさせる。

レンズ本体は金属鏡筒で、すべての文字は刻印されている。大径ガラスによる重み(とはいえ380gほどなので言うほど重いわけでもないのだが)も相俟ってしっかりした密度感があり、とても3万を切る安レンズには感じられない。
被せ式のレンズキャップもアルミ製。レンズ先端より僅かに大きな径の内側に布貼りをして隙間を調整してあり、適度な摩擦感でしっかり止まる。こちらも決してチープな作りではないのだが、縁5mmの内側が一段凹ませてあり「7Artisans 七工匠」とプリントしてあるだけなので些か安っぽさは否めない。
全長は60mm程度とコンパクトで、胴回りはマウント外周より僅かに太い程度。同程度の重さのOMDSの12-40mm F2.8 PROと比べると径は二回りほど細い(35mm F0.95はフィルタ径52mm、12-40mm F2.8は62mm)。
ローレットは指かかり良く、滑らかに回転する。いずれもクリック感のない無段階で、絞りについては意図せず回ってしまわない程度のクリックが欲しかった気もする。

PEN Fに付けるとこんな感じ。
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重量は合計で800g強、ボディとレンズの重さが釣り合っておりバランス感はとても良い。
電子接点がないのでピント補助は機能しないが、ボケが強い分だけピント位置は把握しやすい(それでもMF なので若干のピンボケは生じ得るが)。

小田原

都内主要ターミナルから東海道本線で1時間半ほどと日帰りアクセスしやすい小田原は関東有数の城を有する(とはいえ一度は廃城となり現存のものは再建だが)手軽な観光地である。
新幹線も停車する駅前はなかなかの賑わい。土産物などを販売する「小田原新城下町」も雰囲気ある外観だ。
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東口を線路沿いに進むと、ほどなく小田原城が見えてくる。
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桜も流石に古樹が多く、苔生して素敵な風合い。
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……が、今回の第一目的は城ではない。ひとまず通り過ぎて報徳二宮神社(二宮尊徳を奉じる神社)の側へ。
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道の向かいにある二宮尊徳博物館……の脇を入ったところにある国登録有形文化財、旧黒田長成邸「清閑亭」が今回の目的地である。
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小田原は明治時代に保養地として人気を博し、多くの華族やら 実業家やらがこの地に別荘を築いたそうで、清閑亭もその一つである。
3/31を以て一般公開を終了し、今後は料亭となる予定だそうなので、その前に駆け込みで撮影に訪れた次第。

小規模ながら素敵な庭を持つ日本家屋で、イベントへの貸し出しなども行なっており、また喫茶も行なっている。
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喫茶で地元産の蜜柑「湘南ゴールド」のジュースを頂いたが、蜜柑のイメージに反してオレンジ色ではなく林檎ジュースぐらいの白色だった。酸味と少しの苦味が爽やか。
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清閑亭を辞し、城も少し見物。
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なにやら武者姿で行列が。
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本丸広場にて、みかん氷を食す。
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城はそんなに期待していなかったのだが、あちこちに立派な松や桜があって、撮影が楽しい。

これはイヌマキの巨木。樹皮が落ち、捻れた肌が剥き出しになっている。ちょうど桜の枝がかかって絵画のよう。
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堀にも多くの桜が枝を垂れ、水面に美しく映える。これを撮るだけでも来た甲斐があろうというもの。
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城の向かいには真新しい観光センター。ここで軽く食事。
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ここからしばらく街を歩く。大通り沿いには蒲鉾屋を中心に古い店舗が散見され、見ているだけでも楽しい。
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使用感

というわけで35mm F0.95のみで観光写真を撮ってみた。
中望遠としては然程画角が狭くなく標準画角寄りなので、「全体が収まらず撮影を断念する」ようなことはほぼ生じなかった。もう少し望遠があればと思うことはないでもなかったが、料理写真などにも過不足なく、非常に使い勝手が良い。
F値0.95の強いボケはマイクロフォーサーズでも十分な効果を発揮し、わずかなボケ量の差が立体感を作り出してくれる。なるほどボケのために35mmフルサイズが欲しくなるわけだ……
一方でマニュアルフォーカスのため動きものには対応できないし、色収差が強いのかボケの縁がくっきり色付く傾向があるなど若干癖のあるレンズでもあり、決して万全というわけではないものの、「とりあえず安価に明るいレンズを手にすることができる」という利点は大きい。
F1.2 PROなどに手を出す余裕がない人には是非おすすめしたい。

本好きの下剋上:漫画版は如何にして平行連載となったか

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本好きの下剋上は、コミカライズを第一部完結後に第二〜第四部平行連載という変則的な形でリリースしている。第二部以降はいずれも未完であるため間がつながっておらず、原作小説未読だと話が飛んでしまうし、未完状態での同時刊行を知らずに新刊を買うと「新刊かと思ったら違う話だった」ということになりやすく混乱を招きがちだ。
無論そういった問題は出版サイドも重々承知ではあったろうが、それでも敢えてこのような形に至った理由はコミックス第三部I巻の後書に説明されている。曰く、「今までのペースでコミカライズを続けると完結まで約30年かかる」。

2015年の連載開始であるから、単純に言えば2045年までかかる見通しだ。

実際、第一部のコミカライズは完結までには3年以上かかっている。書籍版は1巻あたりおよそ25話程度を収録しているため第一部77話分は書籍にして3巻、ということは単純計算で書籍1巻分のコミカライズに1年かかるということだ。
書籍自体が未完だがWeb版の話数を基準にするならば全677話であるから書籍としては全27巻の分量、ということはコミカライズには27年かかる計算である。もちろんこれは単純計算なのであって、実際には文章量と漫画描写量は必ずしも一対一で対応しないし、書籍の巻数も当初予定より少々増えており30巻を少し超える見込みなので、やはり30年を見込んでおくのが順当に思われる。

さすがに30年は長すぎるということで、平行刊行によって完結期間の短縮を目論んだわけだが、では実際のところどの程度短縮可能なのだろうか。

各部のコミカライズ開始日と最新話の掲載日、消化済みの原作話数を元にざっと計算してみる。

原作話数最新話第一話掲載最新話掲載連載日数年あたり消化率
第一部1〜77話(77)77話(100%)2015年10月30日2019年2月19日1,208日(3.3年)23.2話
第二部78〜172話(95)128話(53%)2018年9月24日2022年03月14日1,267日(3.5年、完結予想6.5年)14.7話
第三部173〜277話(105)204話(30%)2018年04月30日2022年03月10日1,410日(3.8年、完成予想12.8年)8.3話
第四部278〜460話(183)296話(10%)2020年12月24日2022年03月21日452日(1.2年、完成予想12.3年)15.3話

なぜこれほど消化が遅いかというと、原作がなにげない日常にすら後々の伏線が張り巡らされた緻密な構成であるために省略可能な箇所がほとんどないからだ。
足掛け3年3ヶ月を費やした鈴華さんの第一部、隅々まで丁寧に描写してゆくスタイルの分だけ進みもゆっくりなのだろうかと思っていたのだが意外にも結構ハイペースだった。逆に週刊連載経験をお持ちの勝木さんによる第四部は、一度の更新ページ数も多いためハイペースな印象があったが、思ったほど話の進みが早いというわけでもない。もちろん状況の違いもあって一概に比較できるものではなく、優劣を付ける意図はないのだが、この計算に拠ると第二部の完結時期が2025年中、第三部が2031年頃、第四部が2033年といったところになりそうだ。
すると(更に別の方が担当されるのでない限り)第五部は改めて鈴華さんの作画に戻り、年15話程度の消化率で進むと仮定して14.5年ほどかけて2040年前後の完成に……あれ、もしかして5年ぐらいしか短縮できてない?
というか第一部の年23.2話という(これまでで最速の)ペースを基準としたときでさえ完結が30年がかりだったのであって、年15話だったら45年、年8話だったら……80年以上!それは到底待てないなぁ……

王子の桜

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この季節、王子駅付近は花見で賑わう。
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駅の南側にある飛鳥山は江戸時代から花見の名所として知られた場所だ。
そこから道を挟んで北側にはちょっとした繁華街があり、一角には落語「王子の狐」にも登場する厚焼き玉子の老舗「扇屋」も。とはいっても料亭としての構は既になく、玉子焼きの売店が残るのみだが。
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駅南口すぐの音無親水公園も、なかなかに風情ある桜の小道として知られる。
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公園そのものは全長150m程度だが、突き当たりはそのまま石神井川に繋がっており、そこから川の両岸に沿って遊歩道が延びている。

公園の出口付近にはコンクリート打放しのマンションが。
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石神井川は川沿いに桜の木が多く植えられており、どこまで歩いても桜が楽しめる。道路沿いの桜だと通行の邪魔になる枝が切り落とされてしまうことが多いが、川面に突き出た枝は伸びやかに水面へと垂れ、花筏で楽しませてくれる。
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駅からのアクセスも良く、散歩道としても気持ち良い一角。カメラ片手に散歩はいかがだろう。
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神田明神夜桜会

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先日は昼の桜を撮るのが楽しかったので、今度は夜桜のライトアップを撮りに行くことにした。
都内でもあちこちでライトアップを行なっているが、今日は会社帰りのアクセス性から神田明神のライトアップイベント「NAKED 桜モウデ」を選択。
naked.co.jp

鳥居越しに見える隨神門がライトアップを受けカラフルに輝く。
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隨神門をバックに近隣の植木を撮るだけでも楽しい。
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もちろん門だけでなく境内もライトアップされている。
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さほどの混雑もなく、ゆったり撮影できた。
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LINE登録で借り受けられる提灯は、足元に桜の花を投影してくれる。
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時刻は夜7時、ふたたび門の外へ。
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やはり隨神門と桜の取り合わせは格別。
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女王の化粧師

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「女王の化粧師」は、所謂「主従もの」に分類されるファンタジー小説である。
atrium.flop.jp
女王を戴く小国デルリゲイリアの没落貴族家の一人娘、次代女王候補のひとりマリアージュ。その父亡き後に当主代行として、沈みゆく家をまとめる家宰ヒース。そして「女王の顔を作る」ために雇われた化粧師ダイ。この3人を中心に、女王選、そして国主としての采配を描いてゆく。


かつて大陸を統べた魔法技術の大国が、その技術と共に滅んでのち数十年。デルリゲイリアでは、今しも次代の女王選出の儀式が行なわれようとしていた。
この国では、旧国の聖女に連なる血筋から女王を戴く習わしがある。そのため前女王の退位あるいは崩御に際し、血筋を継ぐ各家から候補となる娘を立て、女王の座を争うのだ。

デイルゲイリアの国土は山脈と海に挟まれ、居住に適した平野は狭い。産出する資源にも乏しいこの国は、昔から芸術を主要な産業としてきた。ゆえにと呼ばれる。
そしてでもある。娼館もまた、この国の主要な「産業」のひとつだ。
その娼館で、芸妓に化粧を施す「顔師」として腕前を認められたダイはある日、貴族の使いによって呼び出される。女王候補の一人である上級貴族の娘、マリアージュ様専属の化粧師として雇いたいと。
芸技の国の女王候補らは、それぞれに国の産業たる技術を受け継ぐ職人を抱える習わしである。この家は、よりにもよって貴族社会で価値を認められていない「化粧師」を、お抱え職人に定めたのだ。

没落貴族ミズウィーリ家の、賢くもなければ見目麗しくもない、癇癪持ちの我侭な小娘。それに化粧を施し、女王らしい「風格」を与える、それがダイの職分である。
だが、化粧は単に白粉を叩き口紅を塗るだけの作業ではない。体質を知り、体調を管理し、肌を作る。そして当人の造作に合わせて欠点を隠し、美点を引き出す。それだけではない──マリアージュ自身がどのようになりたいか、どのように見られたいか。それを化粧によって実現するのだ。
だが、そのためにはマリアージュについて深く知らねばならない。何を考えるのか。何を望むのか。どのような女王でありたいのか。そうして一介の職人に過ぎなかったダイは、次第に彼女を支える腹心として政治の場に足を踏み入れてゆく……


まずもってキャラクターが魅力的である。
常に先を読み状況を整える、怜悧な敏腕家ヒース。あらゆる人物を、状況を、盤上の駒と為す天性の策略家。平民出で上級貴族家の使用人らとは距離を置くが、同じ平民出のダイにだけは気を許す。
劣等感を抱えながらも折れない強さを持つ女王候補マリアージュ。感情の機微には敏く、本質を鋭く見抜く。初めは物知らずで我侭な暴君だがダイによって環境に変化が生じたことで少しづつ考えを深め、人の上に立つに相応しく開花してゆく。
そして冷静ながらトラブル体質、貴族の常識に染まらぬ我らが視点主人公ダイ。画家であった父ゆずりの観察眼と魔性の娼姫であった母ゆずりの顔立ち、それに心を開かせる話術を持つ無自覚の「人たらし」。
彼らを中心に、敵味方入り乱れて多くの人物らが世界を彩る。彼らにはそれぞれの立場があり思惑があり、単なる冷酷な敵ではないし、絶対の味方でもない。とりわけ他国との外交ではそれぞれの関係性と思惑、国内の情勢に応じて時に協力し時に対立し、絡み合って物語が紡がれる。

複雑な裏事情は、社会に疎いダイの目を通して疑問を浮かび上がらせ、すべてを把握するヒースの説明を受けることで読者にもわかりやすく示されてゆく。
国交を描く物語であるため登場人物は決して少なくないが、ダイの立場から一度に接する範囲が制限され、また印象的なエピソードを伴って登場することでしっかりと印象付けられる。

もちろん、主人公が「化粧師」であるからには、肝心の化粧に関する描写にもしっかりと力が入っている。
私自身は化粧の経験がないため些か具体的なところをイメージしにくく、その演出効果についても判断はしかねるが、それでも色選びや載せ方の丁寧な描写には説得力を感じずにはいられない。
ダイの化粧はどのように女王を彩り、影響力を発揮してゆくのか。是非読んで確かめられたい。

なおビーズログ文庫より書籍化進行中、ガンガンコミックスでコミカライズ進行中。

はとバスツアー:ムーミン谷と川越散策

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バスツアーって経験ないな、ということではとバスのツアーに参加してみた。
どうせはとバスなら二階建バスのツアーを、とも思ったのだけどわりと都内の「知ってる」スポット巡りが多かったので、どうせならまだ行ってないところへ、ということで「ムーミンバレーパーク」ツアーに決定。
1人あたり5000円だが、ムーミンバレーパークのチケット3200円(前売りなら3000円)+併設レストランのビュッフェ1800円込みなので実質的に「交通費分お得」ぐらいの料金設定、しかもコロナ禍の観光補助政策でクーポン券が2000円分付くという。

出発は京橋駅、8時半。

首都高から外環道を通って関越道で飯能へ。順調だと1時間で着いてしまうので開園までの時間調整を兼ね、途中三芳PAで小休止。

ムーミンバレーパークは、埼玉県飯能市にあるダム湖宮沢湖」の畔にある。正確には北欧テーマの総合レジャー施設「メッツァ」(フィンランド語で「森」を意味する)の中に、商業施設群「メッツァビレッジ」とムーミンのテーマパーク「ムーミンバレーパーク」が併設される形である。
metsa-hanno.com

元は立川市あたりに建設する予定だったが、より「北欧」らしい雰囲気を求めた結果としてこの地が選ばれたのだとか。

実際、湖畔にムーミン世界の建物が見え隠れする風景はなかなかの雰囲気。

ところどころに写真スポット的な場所も用意されている。

ムーミンバレーパークは今年で開園3周年であるらしい。

ゲートを通過すると、まずはアンブレラスカイが出迎え。





この日は生憎と小雨のパラつく天気だったけど、雨粒に濡れる傘も悪くない。

園内には作中に登場する建物などが再現され、いくつかは中に入ることもできる。


湖沿いの道を離れ坂を上ると、丘の上にはツリーハウス。

道端や柵の外には、原作に登場したのだろう小物がちらほら。





私はムーミン物語に詳しくないのでよくわからないが、近くに作中の挿絵を描いたプレートがあったりも。

時々、短かいアニメーションを上映する小屋もある。

行き止まりにはスナフキンのテント。小さな焚き火もあり、日が暮れてからの雰囲気が見たかった。

湖畔なので至るところで水面の雰囲気を感じ取れる。


園内に流れる音楽はBOSEの全天候型スピーカーから流れるものだが、鳥の囀りは天然もの。


昼食込み3時間強の行程だったが、撮影しながら一周するだけで時間を使い切ってしまい園内アトラクションを全スルーする羽目に……次に行くときは夜のライトアップも見たいので、ツアーじゃなくここ1箇所だけを目指そう。
どうせなら近場で宿泊できると良いのだが、生憎とそういった施設はないようだ(飯能駅まで出ればビジネスホテルぐらいはあるだろうが)。

飯能を離れ、バスで川越へ。
途中、激しい雨に遭遇。川越の観光が危惧されたものの、到着頃にはもう傘も要らないぐらいの雨足に。

川越は何度か来ているので、今回はまだ行っていなかった氷川神社を目指す。

多数の風鈴を並べた演出で知られる神社だが、今年は市政110周年を記念して風車が並んでいる。

形代流しの小川。

吊灯籠の並ぶ一角も人気のフォトスポットである。

特に何かイベントがあるわけでもないようだが、着物姿の女性も多い。

絵馬を下げる通りや籤を結ぶ場所も。「鯛みくじ」を下げてゆく人もいる。

街中をひと巡りして、バスで再び東京駅へ。


バスで目的地まで行けるのは快適である半面、1箇所で好きなだけ遊べるわけではないのでちょっと気ぜわしくもある。
気になっている観光地の下見には良いかも知れない。

塔の諸島の糸織り乙女

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ずっと書籍化されるべきだと思っていた作品がとうとう書籍化されたので紹介する。
kakuyomu.jp

渡来みずね「塔の諸島の糸織り乙女」は、王国辺境の離島で(このあたりではそこそこ裕福な)仕立て屋の子供として生まれてきた少女が、のほほんと数奇な運命に巻き込まれてゆく、のんびりスローライフ転生ファンタジーである。

物語は主人公スサーナさんが6歳にして前世の記憶をなんとなく思い出したりするあたりから始まる。
おおおこれが異世界転生……と早速知識チートなどを試みるものの、この世界はこの世界なりにちゃんと技術文化が発達しており大抵のものは既にあるか、あるいは見当らぬものは環境に合わないから発達しなかった感じであり、ぜんぜんチートできない。
けれど実はチートは転生ではないところにあって──

どうやらこの世界に於いて魔法の権能を振るう血筋である「鳥の民」の血を引くらしい彼女は、そうと知らずに彼らの使う「糸の魔法」を発動させてしまう……のだが、だからといって魔法の力で無双するようになるわけでもなければ、逆に魔法の使い手であることがバレて周囲の扱いが激変するというわけでもない。
相変わらずのほほんとお人好しな彼女は、主に頼みを断り切れなかったり見捨てられなかったりで色々な面倒ごとに巻き込まれ、そのたびに少しづつ人脈を広げ、その立場を変動させてゆくことになる。

……スサーナさんに本当にチートな能力があるとすれば、その天性の人たらし能力かも知れない。

客観的に見れば美少女と言って差し支えない容姿で、その上によく気が回り温和な性格、しかも理知的(まあこれは前世の記憶というアドヴァンテージもあるにせよ)と、好かれるに十分な要素を備えている。ついでに仕立屋の家で修行を積んできたので裁縫ごとも得意で、また食いしん坊な(というか時折迫り来る前世味覚への希求がある)ので調理にも積極的、いわゆる「家庭的な女性」像との一致度も高め。
しかし当人は「この世界では忌まれる」黒髪であることや自身の出生、それ以上に幸福だったとはいえない前世の影響から自身の価値を低く見詰もる傾向があり、それゆえ他人からの好意には極めて鈍い。
……まあ記憶だけは成人であるため、同世代の子を歳相応の相手と見るのは難しいという面もあるのだろうけど。

そういうわけで彼女には複数のハイスペック男の子たちが密かに恋情を寄せている。だけどそれで甘酸っぱい雰囲気になるかというと……彼らの気持ちにはまったく気付かない彼女はそれを単なる親切、もしくは自分以外への情と考えており、みんな「仲の良いお友達」としか思っていない。そのすれ違いぶりにあらあらうふふするのがひとつの楽しさである。

なおスサーナ自身の好意とベクトルがきちんと向き合っているたぶん唯一の男性は、この世界で畏怖の対象とされる長命種「魔術師」の一人にして、彼らを束ねる十二塔の一人、医療を修める「第三塔」の主なのだが、これはこれで「世話の焼ける幼子/家族以外の安心できる保護者」ぐらいの感覚であって恋情とは程遠い。
こちらは冷静で超有能な「保護者」とその庇護下にある小動物の如き幼子、という組み合わせで、これはこれでにっこりできる。



人間関係だけではなく、この世界に対する描写の豊かさも、本作の魅力のひとつだ。

塔の諸島では島の周りの海が雲を呼ぶために初夏になると雨が増える。
 さあっと雨が降っているのを眺めながら、スサーナは中庭を囲む回廊をてちてちと歩いていた。

 中庭に植えられた植物たちは気合を入れてわさわさと成長し、ささやかな林めいて空を遮りだしている。雨の粒が葉を打つ音がちょっとした楽器のようだ。

春と夏の合間、一番気候のいい時期のよく晴れた昼、戸外のあずまや。
 梁に絡むオールドローズは今や満開に花を咲かせ、まるで甘い香りの飛沫を立てる白い清楚な花の滝のようだった。

 木製のベンチに厚くクッションと絨毯を敷いて、白い石の丸テーブルを囲んで上品に座った少女たちが五人。
 彼女らの前にはそれぞれ茶がサーブされ、繊細な白い皿の上にはそれぞれ薄く上品な形にこしらえた、生ハムと塩気のある硬いクリームを挟んだ薄切りの発酵パン。

こんな風に情感たっぷりに描写されてゆく。ちょっと海外の児童文学めいた趣きさえ感じるが、明るい場面だけではなく、時には海賊市のような些か薄暗い社会なども描かれ、楽しい島暮らしだけでは終わらない可能性も示唆される。

特に、しばしばチート可能性を探るスサーナさんの視線は、この世界の文化、とりわけ家業の服飾や当人の興味が強い料理を重点的に描写する傾向がある。
たとえば……

 ほにゃんと顔が緩んでしまう。さくさくとした糖衣の中にたっぷりの果汁がじゅわっと染み出してくる歯切れのいいスポンジのようなものが入っている。
 なんだろう。柑橘の皮かな。スサーナは口の中でもごもごと味を確かめる。
 確かに鼻にすうっと抜ける甘い香りと味は柑橘の精油のものだ。レモンの皮にしては妙にふわふわしっとりして厚いけれど。

これはざぼんのようなアルベドの厚い柑橘を砂糖煮にしたものの描写だが、料理については万事このような感じで読者の食欲を刺激する。
「食べ物が魅力的なファンタジーは名作」と言ったのは誰だったか、たしかに食は文化の基底であり、およそ人間が存在する限りどんな世界であれ通用するだろう分野だから、ここを手厚く描写できる作品は、書き手の中に確りと世界が構築されているのだろう。

書籍はひとまず1〜2巻同時発売、カクヨム版でおよそ60話ほどを収めるが、現在のところ連載は320話ほどまで進んでおり、たっぷり10巻は刊行可能な分量が既にある。続きを楽しみに待ちたい。

旅に軽量ミニ三脚を

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旅行用の三脚を考える。
日帰りや一泊程度の短い旅行であれば三脚なんか必要ない。撮れる範囲で撮れば十分だ。けれど纏まった休暇を得てしっかり旅行するならば、なるべく多くを撮れるようにしたい。もちろん携行するレンズも限られるから本腰入れた撮影は無理でも、三脚のひとつぐらいはあったほうが良いのではないか。
夜景などの撮影用に軽量な伸縮式三脚は用意してあるが、これはあくまで三脚を使った撮影を目的として行動するときのためのものである。比較的小型軽量とはいえ、なるべく身軽にしたい旅行で携行することを前提としてはいない。
旅行用の三脚には、旅先で負担にならないサイズと重量に収まることが求められる。脚は伸びなくていい、カメラを手放しで安定させられれば十分だ。ただ、できれば雲台は自由の利くボールマウント、カメラとの接続は手軽なクイックシューにしたい。

実は、一台でそれをすべて備えた商品が既にある。

ULANZI MT-46

自重
335g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
4939円

アルカスイス互換のクイックシュー、ボール雲台を備えた三段伸縮式のミニ三脚。ポールを伸ばせば高さ32.5cmになり、脚を畳んだ状態ではグリップとして自撮り棒などに使える。

これで十分といえば十分だが、もう少し軽くすることは可能だろうか。できれば1万円を超えない範囲で済ませたい。

三脚

まずは軽い三脚を物色する。
以前に軽量三脚を探したときにも実感したが、三脚の重さは安定性とも直結しているので闇雲に軽くすればいいというわけでもない。とはいえ伸縮式の三脚とは異なり低い位置で使うものなら、重心がそう高い位置には来ないので軽くてもそれほど安定性が悪くはないはずだ。
どちらかというと耐荷重のほうが問題になってくる。超軽量の三脚はそもそもポケットサイズのコンデジやアクションカメラ、スマートフォンなどを想定していることが多く、1kg前後のカメラを支える性能がない場合もある。

DJI pocket2 micro tripod

自重
27g
耐荷重
250g?
雲台
なし
価格
3019円

細い金属の脚が開くだけの単純な機構であり、角度調節も何もない。その分だけ軽さとコンパクトさは飛び抜けており、全長わずか7cm、重量27gだという。
ただこれ、耐荷重がわからない。そもそもDJIのジンバルカメラに付属する超小型三脚であり、120gぐらいの小さなものを支える前提であってミラーレスを想定したつくりではないと考えるべきだろう。実際、脚の長さは5cmほどしかないので支えられる範囲も高が知れている。
類似した商品でJOBYのマイクロトライポッド https://amzn.to/3mo0Y9Lというものもあるが、これも耐荷重250gということになっており、これもさほど違いはなさそうだ。
とりあえず今回の候補からは外す。

Manfrotto PIXI mini

自重
190g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
2864円

ミニ三脚の代表格。球の下に長楕円形の脚が突き出た見た目はちょっとタコっぽいが、要するにボール雲台とグリップを兼ねる脚を最小限にまとめたデザインである。
わずか190gと破格の軽さで、しかも耐荷重1kgと観光時のカメラ/レンズ構成なら十分支えられるだろうスペック。クイックシューはないが、本命といって良いだろう。

ゴリラポッド

自重
197g
耐荷重
1kg
価格
4140円
雲台
ボール雲台付属

言わずと知れたフレキシブル三脚の代表格。脚が曲がるため全長を縮めて収納することも可能で、柵などに巻き付けて固定することもできるので柔軟な運用が可能。反面、安定的に水平を確保するようなことはあまり得意でない。
耐荷重の違いでいくつか種類があるが、これは1kg程度を支えられるもの。

CHIHEISENN

自重
210g
耐荷重
2.5kg?
雲台
ボール
価格
1499円

商品名不詳。マンフロットPIXIのデッドコピーのようだが脚部が伸縮式となっている。耐荷重2.5kgとあるがちょっと信用しにくい……まあ1kgぐらいまでなら大丈夫なのかな……

Velbon M32 mini

自重
218g
耐荷重
1kg
雲台
ボール
価格
2374円

ミニ三脚にありがちな「カメラグリップとしての利用」を想定していないオーソドックスな三脚デザインだが、脚は伸縮しない。マンフロットPIXI miniの方が軽くてコンパクトなので、2割ぐらい安いことぐらいしか利点がない。

Koolehaoda MT-02

自重
360g
耐荷重
10kg
雲台
なし
価格
3980円

全長23cmほどのコンパクトな三段伸縮三脚。ローアングル対応と耐荷重は頼もしいが、雲台を付けると500g近くになってしまうこと、また脚を伸ばしても高さ33cmほどに過ぎず、いささか半端の感は否めない。大型のカメラ/レンズを運用しつつ大型の三脚を使わず軽量化したいときには有効か。

SWFOTO T1A12

自重
387g
耐荷重
5kg
雲台
ボール
価格
7200円

SmallRigのミニ三脚あたりのコピーという感じだろうか。URANZIのMT-46と比較すると高価で重く優位性はないが、SmallRigなどのしっかりしたミニ三脚よりはだいぶ軽い。雲台が水平回転可能で目盛付きなので、水平に振る撮影を想定するならば意義がある。

SLIK MEMOIRE T2

自重
125g
耐荷重
2kg
雲台
なし
価格
2255円

シンプルにただ水平近くまで開くだけのローアングル専用三脚。安価軽量な割に耐荷重が高く、軽量構成には最適だが、雲台もないため価格競争力の点では一歩及ばない。

VANGUARD VESTA TT1

自重
156g
耐荷重
2kg
雲台
ボール
価格
3423円

グリップにもなるローアングル三脚。軽量でボール雲台も付いており、耐荷重も2kgと申し分ない。クイックシューを含めてもURANZI MT-46より少し高い程度に収まるだろう。
Manfrotto PIXI miniと並ぶ本命。

雲台

カメラの向きを変更するための雲台が備わっていない三脚もあるので、軽量な雲台を探しておく。

SLIK SBH-61

自重
48g
耐荷重
1kg
価格
2355円

軽量なボール雲台。耐荷重がもうちょっと欲しいところかも知れないが、これ以上となると(主張の怪しい中国製以外では)どうしても重量が嵩む。

クイックシュー

三脚へカメラを取り付けるために雲台に備わったネジを使うと、つけ外しにちょっと手間がかかる。クイックシューは予め雲台側に台座を、カメラ側にプレートを、ネジ止めしておくことで瞬時に脱着が可能なようにしてくれるアイテムだ。
台形のプレートをネジで挟み込んで止める「アルカスイス」方式がデファクトスタンダードになっているが、これだと「下からネジで止める」代わりに「左右から止める」だけなのでイマイチ着脱が早くない。そこで最近はボタンやレバーひとつで着脱可能なジョイントが作られている。

ULANZI F38

MT-46にも付いているクイックシュー。アルカスイス型準拠のプレートにワンタッチ着脱の構造が追加されたもので、アルカスイス式のクランプを持つ製品に対応しつつF38の台座であれば瞬時の着脱ができる。汎用性を重視するならばこれが良さそうだ。

SmallRig Hawklock3513

小さなプレート下部に爪を持った円柱状の突起があり、これを台座がしっかり挟み込んで止める形式。安定性が高いが、突出部が2cmぐらいあるので若干気になる。

ULANZI F22

非常にコンパクトなクイックシュー。アルカスイス型のF38を小型化したような構造で、前後にスライドして固定する。SmallRigのものと違ってカメラ側のプレートが薄いので邪魔になりにくい。

ULANZI Claw

こちらもULANZIの小型クイックシュー。なぜ複数の規格を作ったのかは謎だが、こちらはF22と違って上から嵌め込む形。リリースボタンをスライドすることでロック可能。

Vloggerクイックリリースクラン

他社のものより台座・プレートともに薄く軽量だが、なぜか台座後端にプレート上端より飛び出た部分があるため取り付け位置によってはカメラ底面と干渉しそうな気がする。

沖縄へ行こう:準備編

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会社の勤続記念でもらった旅行券では金沢に行ったのだが、この時は土日を含め3日間の行程だったので有給を1日取ったのみで、同時にもらった「連続1週間の休暇」の方が浮いてしまった。これは特別な休暇であり1年で失効するので、期限内に絶対使ってくれと労組から言われており、じゃあちょっと遠いところに観光に行こうかということになった。
本当なら海外に行きたいところだったが、生憎とコロナ禍で最大2週間ほどの隔離を強いられる状況では現実的でない。思えば結婚したときにも、休暇と旅行券もらったので海外に行こうかと思ったらアメリカ同時多発テロ事件でちょっと飛行機旅行どころではない感じになってしまったのだった……なんなのこの間の悪さ。
さておき、ならば国内旅行で普段あまり行けない距離、ということで沖縄へ行ってみようということになった。

日程を決める

早いに越したことはあるまい。
なにしろ未だコロナ禍ではある。ワクチンも普及して一時期ほどの脅威感はなくなっているとはいえ、また新たな変異種が増加しつつあるようで次の大きな波がいつ来ても不思議ではなく、情勢が落ち着いており動ける状況のうちに動いておくべきだろうと思われる。ついでに言えば夏休みが近づくと料金も跳ね上がるので、オフシーズンを狙いたい。
月初と月末は仕事の都合で休みにくいので、月中の二週間を想定。

予定を立て始めた5月後半時点では、沖縄は梅雨真っ盛りであった(だからオフシーズンなのだが)。雨そのものは嫌いではないが、観光では傘で手の塞がる状態はあまり嬉しくないし、どうせなら真っ青な夏の海を撮りたい。
その上、5月末に那覇で大雨による洪水が発生。すると6月の半ばではまだ被害から復旧しつつあるあたりと思われ、観光にはどうにもタイミングが悪い。そういえば結婚前、はじめて二人で旅行しようかと計画していたときにも予定先の名古屋で洪水が……なんかそういう運命でも引き当てたのか。
そうすると梅雨が明ける6月下旬以降にした方がなにかと良さそう、ということで7月の第二週に計画を延期したところ、梅雨はさっさと明けて台風シーズンに突入してしまった。幸いにして台風は初週のうちに抜けてくれたので、飛行機が飛ばないとか着いても部屋から出られないといった事態にはならずに済んだが。

旅行代理店を比較する

知らない場所への旅行にあたっては、ツアーパックを利用するのが最も手軽ではある。旅券に宿の手配、現地の主要な観光地までの移動手段。ガイドされるままに動くだけでそこそこ満喫できる仕組みだ。
ただ、過去の経験から、時間単位で行動が決められているツアーパックはあまり自分たちに合わないことがわかっている。だいたい興味ある場所では圧倒的に時間が足りず、そうでない場所では時間を持て余すことになるので、「現地へ移動してあとは自由行動」な方が都合がいい。

というわけで旅行代理店各社で「航空券+宿泊」のみのプランを検索してゆく。
いくつかの旅行会社を見てみたところ、サイト構成が似通っているところが多い。恐らくは独自構築ではなく、旅行代理店向けのシステムが販売されているということだろう。
そうした会社は旅行プランについても提携先が少なめで、あまり選択の余地がないところが多い。「特定会社の旅行券を使う」などの目的(金沢の時がそうだった)でない限りは、大手に頼った方が何かと良さそうだ。

楽天トラベルは流石に自社製で、ホテルの一覧を「地図上に表示」する機能を持っているのは良い。ただ施設写真などはごく少数で、代わりに情報の少なさを補うためか動画で掲載が可能になっている。正直そう見やすいわけではない。

サイトの出来が一番良いのはJTB、流石は元国策会社だけあってシステム構築にもちゃんと金がかかっている。
出発日と帰着日を同じカレンダー上でクリックするだけで指定可能で、便の選択画面下に表示されるホテル一覧には多数の写真が掲載されて雰囲気も掴みやすく、「駅から徒歩5分以内」「夜景が見える」「温泉の泉質効能」など多彩な条件で絞り込めるのは流石(マップ上へのホテル一覧表示も可能だが、動作が重いのでオススメしない)。掲載件数も多く、ここ一社でほぼ用が済んでしまう感がある。
ただ料金は全体にやや高め。JTBで申し込むとホテルで特別なサービスが付いたり空港で専用ラウンジが利用できたりするらしいので割高なりのお得もあるようだが、今回のように素泊まりでの申し込みだとそのあたりはあまり効いて来ない。
また料金表示が総額ではなく「1名あたり」となっているので、他社との比較の際には注意を要する。

HISのサイトも基本的に出来が良く、必要な情報がよく纏まっている……のだが、微妙に「行き届かない」感がある。たとえば一覧画面からホテルを選択すると「プランが見付かりません」と出てしまう(「このホテルのプラン:n件」をクリックするとプランが出てくるのに)とか、写真の解像度が妙に低いとか、「もうちょっとメンテナンスをしっかり」と言いたくなる。
その代わりというべきか、JTBに比して1〜2割ぐらい安い。

一休.comなど、「宿」をメインとした旅行サイトもある。魅力的な宿ばかりであり、思い切ってリゾートを満喫するなら良いのだが、今回は宿より観光に重きを置くので需要と噛み合わない。

ホテルを選定する

沖縄はシーサイドリゾート地なので、ラグジュアリーな感じのリゾートホテルはだいたい海近くにある。空港のある那覇市とて海に面してはいるが、シーサイドのホテルはいずれも中心街からはやや離れた位置となりリムジンバスで送迎という感じになる。
そういうホテルの内装などを楽しみたいという思いもないではなかったが、我々はあまり泳ぎに興味がない。海を撮りに行くぐらいはしようと思っているが、積極的にオーシャンビューを求める必要もない気はする。
むしろ街中観光をメインに据える場合、ホテルは寝泊まりの場所と割り切って交通アクセスの良いホテルを当たった方が、何かと楽そうだ。

沖縄旅行で一番の懸念といえば交通である。旅行代理店のプランでは当然のように「レンタカー付き」が選べるわけだが、なにしろ我々夫婦は運転免許を持っていないので、「何をするにも車で移動」は困る。
しかし2003年に沖縄初の鉄道(と呼んで良いのかどうかはわからないが固定軌道旅客交通手段ではある)、「ゆいレール」が開通。 これで沖縄旅行もばっちり!……と思ったらゆいレール沖縄本島南西部の北側、つまり那覇市周辺しかカバーしてないようだ。
まあ未知の土地テラ・インコグニタなのでその範囲でもそれなりに楽しめるとは思うが、滅多に来れない場所であるからには心残りなきよう多くのスポットを巡りたくもなる。すると流石にゆいレールのみでは対応し切れまい。
当然ながら鉄道が未発達なぶんだけバス網が発達しており、少なくとも南西部地域の主要観光地はだいたい対応できるはずだ。どうやら本島北端地域を除けば、1日3000円でゆいレール・バス乗り放題券が利用できるらしい。
とはいえ「観光地までの交通に都合良いバス停が近い」かどうかを絞り込むのはちょっと大変なので、とりあえずゆいレールの各駅はそれなりにバスとのアクセスが良いだろうと推測し、細かい条件で絞り込めるJTBのサイト上で「駅から5分以内」のホテルをピックアップし、金額と設備のバランスを考慮しつつ「HOTEL AZAT」を選定。ゆいレール安里駅の斜向かいという近さで、これなら空港からの往復で荷物を抱えた状態でも、あるいは観光で疲れた足でも楽にたどり着けるだろう。

後からバスルートを調べたところ、主要なバスはだいたい旭橋駅前の「那覇バスターミナル」からの発着であるらしく、そちらに近いところの方が便利ではあったか知れない(その分宿泊費用も高いのだが)。まあ安里から旭橋まではわずか4駅なので大した違いはあるまい。

旅行の準備

沖縄の日差しは強烈だと聞く。現住な日焼け対策が必須で、暑いからといって半袖など以ての外だそうだ。というわけで白を基調としたUVカットの長袖を用意したい。汗もかくだろうから速乾性のもの、それでいてアウターとして着用可能なもの、ということでスポーツ用のドライメッシュTシャツと、上に羽織る白の長袖を用意。また折り畳みの日傘も準備する。
荷物はなるべく少なくしたいので、服は2日分。大抵のホテルにはランドリーがあるので、替えがあれば用が足りるはずだ。
泳ぐつもりはないので水着は持って行かないが、足を水に浸すぐらいはするかも知れないのでサンダルで行こうか。

暑さ対策

沖縄の気温は関東より低いというが、それは必ずしも「涼しい」ことを意味しない。日中の気温は30℃を越えているし、湿度も高めで、なにより日射しの熱量が高いので体感気温は決して低くはないはずだ。その中を出歩こうというのだから対策には念を入れたい。
飲料は現地調達でいいとして、体を冷やすためにPCMネッククーラーを導入。「猫舌のためのマグ」などで知られるようになった、「長時間一定温度をキープする」素材で、ひんやりする程度の温度を保ってくれる首輪である。

カメラ

夫婦とも写真が趣味なので、観光では撮影も大きな目的のひとつである。
旅行先へはそうたくさんレンズを持っては行けないし、過去に色々試した結果として付け替えの間にチャンスを逃しやすいので、なるべく汎用に使えるレンズで行った方が何かと良いことがわかっている。
妻のレンズは広角から中望遠、寄りの写真まで1本でこなす汎用レンズM.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROなので付け替えの必要はないが、自分用にはそれに準じたレンズを持ち合わせていない。最近は標準と望遠のちょうど中間域にあたる程良い画角で立体的なボケがつくれ、寄りも充分にこなせる7artisans 35mm F0.95をメインに使っているが、流石に沖縄となれば広く撮りたい場面が多かろうと思われ、今回は思い切って新発売のLEICA SUMMILUX 9mm F1.7を導入してみた。
また、星空が撮れることを期待して軽量な小型三脚とソフトフィルターを用意。役立つといいが。

バッグ

観光中はなるべく身軽でいたい。
着替えと充電器、マスクなど消耗品は大きめのバッグに詰めて持ち込みホテルに置いてゆくとして、最低限持ち歩く荷物はカメラ+レンズ、iPad、財布、晴雨兼用の折り畳み傘、タオルハンカチ、ポケットティッシュ程度か。これらはいつも使っているショルダーバッグに入れる。
新たに導入した超広角レンズが画角の関係でフィルタ重ね付けできないため都度付け替えが必須で、また中望遠の方はセンサ焼けを防ぐためにレンズキャップが欠かせないので、それらを収納するために小さなポーチを追加。

観光先を調べる

いつものように鉄道駅起点ではなく路線バスでの移動がメインとなるので、行きたい場所へのアクセスは予め調べておいた方が良さそうだ。
というわけでガイドブックなどを参考に行ってみたい場所を拾い出す。メジャーどころだけあってあらゆる旅行ガイドブックから沖縄本が出ているので書店で見比べ、情報のバランスが良さそうだったJTB出版の「ソロタビ」を選出。一人で気軽な一泊二日からのプランを紹介、コンパクトながら必要な情報が読みやすくセンス良くまとまっている。

予めバスマップ沖縄から目的地までのバス路線と時刻表を調べ、独自の観光マップをまとめておいた(のだがうっかり持ってくるのを忘れた。まあ調べたことで頭に入っているので無駄ではないが)。

宿泊地域が那覇中心街、国際通り東エリアなので、主な行動範囲は本島南部〜中部エリアということになるだろう。
ただ、がっちりしたプランは組まない。どうせ当日の気分次第で予定など変わるので、あくまで「行ってみたい場所への行き方」程度に留める。

沖縄へ行こう:初日〜2日目(北部編)

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当日:空港〜国際通り周辺

出発の前々日に元首相暗殺事件でヴァカンス気分が吹っ飛んでしまった……だからなんなのこのタイミングの悪さ(無論、事件に「良い」タイミングなどないのだが)。
とはいえ容疑者は逮捕されており、同様の犯行が続く気遣いはない。べつに航空便がなくなったわけでなし、今更スケジュール変更もできないので、気にしないのが一番だ。投票は事前に済ませているのだし。

2時間ぐらい余裕を持って出るつもりが直前に対応せざるを得ない案件が飛び込んできたため、思ったよりギリギリに。空港内でもターミナルまでバス移動が発生し、だいぶ慌ただしい出発となってしまった。

昼過ぎの便で羽田を発ち那覇へ。

那覇空港からはゆいレール安里駅へ向かう。

沖縄唯一の固定軌条交通機関であるゆいレールは2輛編成のかわいいモノレールであった(現在、3輛化に向け駅工事中)。駅間も空港〜次駅以外は1km以内と非常に短かく、どうやらこれは鉄道というより「渋滞しない、定刻で運行されるバス」的な存在なのだということがわかってくる。

Hotel AZATは駅の目の前(この写真には写っていない)。道の反対側には24時間スーパー「リウボウ」もあるのだが、生憎と店内改装のため休業中だった。


飛び抜けて優れたホテルというわけではないが、観光の拠点地として必要十分なサービスを備えている。
駐車場のある地階にはコインランドリーがあって毎日洗濯ができ(洗濯は1回300円、ガス乾燥機は10分あたり100円。洗剤も含め1回の利用で二人分につき700円程度)、大浴場はないが各室のユニットバスで体を洗うことはできる。
ひとまずチェックインを済ませ荷物を置いた後、夕食も兼ねて国際通りへ向かってみる。



建物がいちいち楽しく、撮りながら歩いていたら通りの中程で平和通り商店街に吸い込まれた。


Kaisouさんという2軒並びのブティックはオリジナルデザインのシャツや貝殻を加工したアクセサリなどを販売しており、デザインが素敵だったのでTシャツなど購入。


その勢いでアーケードを制覇して歩く。金沢で1日目に街を撮るのにハッスルしすぎた教訓とはなんだったのか。





途中で見付けた古い沖縄屋根 雑貨店「じーさーかす」さんでは昭和中期のおもちゃやガラス器などのほか、沖縄米軍統治時代の切手など紙ものも充実。紙好きの愛妻が舞い上がって山ほど買い込んでいた。

浮島通りから国際通りへ戻る頃にはすっかり日も暮れ、適当な居酒屋でとりあえず飯。



2日目:美ら海水族館

「ここだけは絶対行きたい」場所は先に行っておくに限る、ということで2日目を美ら海水族館に当てることに。世界最大規模の大水槽で名高い、沖縄でも有数の観光スポットである。
旭橋駅那覇バスターミナルから1時間に1本ぐらいの割合で出ている高速バス117系統で2時間ほど。8時半から開館なので、最速なら7:10の 便で9:13着、と意気込んでターミナルへ向かったところ「高速バスのチケット販売所は7:30始業」とのことで前日に買っておかないと始発は間に合わないのだった……
仕方なくファミリーマートで朝食を買い待合室で次の便を待つ。

バスを下りるとすぐ海洋博公園である。
https://oki-park.jp/kaiyohaku/
門から真っ直ぐ開けた先には伊江島が見える。

ここは沖縄返還後すぐに日本本土復帰記念事業として行なわれたExpo'75沖縄国際海洋博覧会の会場だった場所で、とにかく広い。水族館だけでなく海洋文化館や3つの植物園、エメラルドビーチなど、ここを回るだけでも3日ぐらいは必要になりそうな規模だ。

園内のあちこちには日除けを兼ねて大きく枝を広げた植物が植えられており、思わず寄り道してしまってなかなか水族館に辿り着かない。


水族館の入口はコンクリート打ちっ放しの、神殿を思わせるような建物だった。


高台にあって、眼下には沖縄の海が一望できる。

入館すると、まずは日光の射し込む明るい水槽。ここから、大きな水槽のまわりを巡りながら複数の様相を見つつ進んでゆく。



沖縄の海には様々な生物が棲息し、危険なものも少なくない。ここでは模型を用い、光によって危険部位を見せていた。

個別の水槽も楽しい。






そして一番の目玉、大水槽。





水槽の隣はレストランになっており、悠然と泳ぐ魚たちを見ながら食事ができる。

ソーダ味のソフトにアラザンを散らした「じんたソフト」。


大水槽の先はほどなく出口。すごい水族館ではあったけど大型水槽以外の展示は思ったより控え目かな……とか思いながら館を出たら、その先にとんでもないものが待っていた。




メガマウスリュウグウノツカイなどアカマンボウ目の大型魚、ウバザメの液浸標本である。
クジラ類の全身骨格やホオジロザメもある。


超広角があったから収められたが、なかったら危なかった。

更には別棟で亀やジュゴンなどの展示も。

そして海。
水族館を出て右手にはエメラルドビーチがあり、そちらでは海水浴も可能だが、暑くて遠出はしたくなかったのでジュゴン館そばの浜で水辺を撮影してきた。





「浜の真砂」はみんな珊瑚や貝殻なのだった。

帰りのバスは最終が17:30頃。まだ時間はたっぷりあったが暑さに堪えかねたので、明日以降に体力を温存するために諦めて戻る。本当は植物園も海洋文化館も行きたかった……次また沖縄に来ることがあればこの近くに宿泊しよう。

高速バスで県庁前に戻る。
黒川紀章設計の庁舎はコンクリート造りの細かい桟に覆われた真っ白な建物で、沖縄に特徴的なコンクリート住宅の「花ブロック」を意識しているのだろうか。

沖縄の特徴的な家屋といえば漆喰で硬めた赤土瓦に覆われた傾斜の緩い四方下がりの屋根を持つ低い平屋だが、戦後の建物はほぼコンクリート造りで穴の空いたブロックを用いて柵や採光窓が作られている。本州などでも昭和中期の建物ではしばしば見られた手法ではあるが、沖縄は現代でも一般的に広く用いられ、専用のブロックが製造されているそうだ。
沖縄は珊瑚礁などから成る石灰岩が多くコンクリート製造も盛んで、それが戦後の住宅様式にも影響しているのかも知れない。

大通りの入口に立つシーサー。

沖縄に来る前は、シーサーといえば「狛犬」のようなもの、程度の認識しかなかったのだが、実際にはもっと身近な「魔除け」の風習であるようで、ほぼあらゆる入口には、それこそ民家の門や扉からコンビニの入口、駅の改札に至るまでシーサーが睨みを利かせている。

国際通りの脇で見掛けたモッズ。1960年前後にイギリスの若者に流行ったという、スクーターを多数のサイドミラーやライトなどで飾り立てるスタイルだが、非常にセンス良くまとまっている。


沖縄へ行こう:3日目(南部編)

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沖縄旅行も既に3日目。
ペース配分を考えるならば少し休んでもいいぐらいだが、当初の予報では週の後半が雨かも知れず、行きたいところは行けるうちに行っておくが良い、ということで今日は斎場御嶽せーふぁうたき方面のバスツアーである。
沖縄随一の「聖地」として知られる斎場御嶽以外にも、そこから車で15分程度の場所に大きな鍾乳洞や渓谷もあり、いずれ劣らぬ奇景が楽しめるはずだ。

基本、ゆっくり写真を撮りたい我々はバスツアーをあまり好まない。今日行く場所も那覇バスターミナルから路線バス1本、1時間程度で行ける場所ではあり、ならば自力で行く方が自由度は高い……のだが、何故かこの2地点は近場にある観光名所であるにも関わらず、これらを結ぶバス路線が事実上存在しない。そのため自力で動くとなると一度那覇へ戻ってまた別のバスで1時間というルートになってしまう。ならば両方を巡る現地ツアーに申し込んだ方が良かろう、ということでまたも朝7時半からの行動となった。

バスガイドによる沖縄の地名や砂糖黍畑、戦史などの解説を聞きながら南城市へ。途中で通過するニライカナイ橋は初日の出スポットなどとして人気の場所だそうだが、ここから見える久高島は沖縄神話に於ける国生みの聖地であり、斎場御嶽に於いても男子禁制の御嶽入口から、国王が島を遥拝したのだという(工事のクレーンが屹立しており興醒めのため写真はない)。
到着は開場の9時より前だったので、公園で写真を撮りながら待つ。




斎場御嶽

斎場御嶽は山というか森というか、場そのものが聖地である。いちおう道は石畳で整備されてはいるものの、使われる石材は現地の多孔質な石灰岩であり凹凸著しく、また入口以降は階段なども用意されていない。そのため山歩きに適した靴で行くこと(ハイヒールなどは入口で止められる)。

鬱蒼とした森はそこかしこに巨岩や巨木があり、岩に開いたガマなどの前には石の香台が置かれ祈りの場となっている。

魅力的な景観なのだが、写真に収めてもなかなかその雰囲気が出ない。自然の景観むずかしい……


ぽっかりと開けた小さな湿地は戦中に艦砲射撃を受けた跡だそう。

最も有名な三庫理さんぐーい石灰岩の岩塊が引張応力による伸長節理で縦に割れたのち、地滑りによって傾いたものであるらしい。


かつてはこの割れ目にも入れたのだそうだが、今は柵で塞がれていた。
また、この地を再び男子禁制とすることも検討されているのだとか。

ガンガーラの谷

続いて斎場御嶽から15分程度の場所にある、おきなわワールドという有料観光施設へ。
www.gyokusendo.co.jp
ここは鍾乳洞「玉泉洞」を中心に、沖縄名物とされる「エイサー」や琉装、琉球王国下町風の建物など琉球/沖縄文化を(多分に「観光化された」ものではあるが)楽しめる観光施設となっている。
その向かいにあるのが、かつては玉泉洞とも一続きだった鍾乳洞が崩落したことで現れた渓谷を巡る「ガンガラーの谷」である。
gangala.com
ツアーはここで二手に分かれ、ガンガラーの谷を巡る80分ほどのツアーに参加するか、2時間ほどおきなわワールドを自由に散策するかの二択となる(ガンガラーの谷は事前予約が必要で、料金も異なるためバスツアー予約時点で分かれており現地で選択の余地はない)。

谷の入口はサキタリ洞という大きな洞窟が残されており、ここはカフェとして営業している。

パラソルは日除けではなく、鍾乳石を滴り落ちる水滴を避けるためのもの。

ここは「港川人」と呼ばれる古代人骨の出土で知られる断崖の亀裂「港川フィッシャー」から1.5kmの距離であり、この遺跡も同時代の人類遺跡と見られる。
入口手前のシート部分は発掘調査現場であり、2万年前の釣り針(釣り針としては世界最古)などが出土している。


奥にはステージがあり、ライヴなども催される。

まずはここで地質・考古学的な説明を受け、1時間以上におよぶ行程の水分補給用にさんぴん茶の水筒を受け取ってツアー開始となる。

ここも斎場御嶽同様に深い亜熱帯森林に覆われている。

とはいえ自然のままの景観というわけでもなく、地元民によって移植されたジャイアント・バンブーなども。

沖縄といえばガジュマル。この木は枝からたくさんの根を垂らし、地に到達すると次第に太く成長し幹化する。そのうち元の幹が枯れ、そうやって移動してゆくのだという。


マムシグサのような赤い実を付ける、サトイモのような葉の植物はクワズイモ。食べると蓚酸の針状結晶で酷い腫れを引き起こすが、そんな植物の葉に緑色の巻貝。カタツムリではなく、アオミオカタニシだそうだ。

道端に貝殻。太古の海底に埋もれた化石か、それとも古代人によって捨てられたものか。

側を流れる川はかつてこの洞窟を作り上げた地下水流だったもの。

まずはランタンを手に、谷から続く洞窟へと入ってゆく。



洞窟を後にして、今度は渓谷へと踏み入ってゆく。


そしてトンネルを抜けた先に、ガンガーラの谷一番の目玉「大主ウフシュガジュマル」が現れる。




大興奮で撮りまくっていたので似たような写真が続いてしまったが、ご容赦頂きたい。
大主ガジュマルを抜けると石積みの、恐らくはここも御嶽の類が。


出口から谷を振り返る。

最後は樹上に設えたウッドデッキへ。

[
ここからは港川フィッシャーのある辺りも一望できる。

出口はおきなわワールド内。
これは園内に生えていたもの。どうやらタコノキの実であるらしい。

県庁前にて

バスツアーは13時頃には那覇空港へ、その後13:30頃には県庁前へ戻ってくるので、最終日の搭乗前に利用したり、午後に別の予定を当てることもできるだろう。我々はここまで全力で楽しみすぎてバテ気味だったので、この日は昼食を摂ってホテルへ戻ることにした。
県庁前に「楽園百貨店」と掲げたビルが。どうやらリウボウというデパートであるらしく、食べるところも豊富そうだったのでここに入ってみることに。
地下の食品街ではイートインもあって、買ったものをその場で食べられる。とりあえずここで昼食を済ませてから店内を一巡り。
2階はゆいレール駅と直結しており、また夕刻からは外側テラスがビアホールになるようだ。
4階の一部には那覇市の市民文化部が運営する歴史博物館があり、琉球王朝時代の文化財やかつての那覇市内のジオラマなどが展示されていた。

また、現在は特別展として沖縄海洋博の様子などが展示されている。このために那覇市内から会場へ向かうための高速道路が建設されるなど、良くも悪くも沖縄の近代化に大きな影響を及ぼしたものであったようだ。

デパートの屋上階は庭園になっていた。沖縄では屋上がテラスになっており植物を育てている家が多く見られるが、デパートも例外ではないようだ。


ところでこのリウボウなる店名、どうやら「琉球貿易」を意味するもので、遡れば米軍統治時代に貿易が禁じられた中で唯一の貿易窓口であった琉球貿易庁を起源とする商事会社であった由。
ここで買った刺身がとても美味しかったので、以降ここで晩飯を買うのが習いとなった。

福州園

ホテルに戻って一寝入りしていたら、愛妻がなにやら県庁前にあるという中国式庭園の情報を見せてきた。これはガイドブックや沖縄観光サイトなどにほとんど触れられていない「穴場」のようで、ちょうど7月初頭に改修を終え夜間ライトアップ公開を始めたばかりだという。
早速カメラを準備して出掛けることに。

www.okinawastory.jp
福州は琉球王国が明〜清朝への朝貢に赴く際の寄港地であった場所で、琉球との縁浅からぬ関係から友好都市関係を締結しており、10周年を記念して福州式庭園を造園したのだそう。












ところどころに区切りとなる壁があり、異なる景色を切り替えていることで園内を面積以上に広く感じさせている。

壁の小窓はそれぞれに違った透かし彫りが施される凝りよう。


園内からは月が。この日は満月の前日であったらしい。

19時を過ぎ、暮れゆく園内を楽しむ。足元が暗くなるため、段差のある箇所などは閉鎖されて通れなくなっていたのはちょっと残念。次は明るいうちにも来たい。



四阿天井の見事な細工。

ガンガラーの谷と同じぐらいに撮りまくってしまった。これだけ楽しめて300円は公営ならでは。
ゆいレール「県庁前」駅から沖縄タイムス本社側へ、国道58号線を渡って5分ぐらいと行きやすい場所なので、是非訪れてみて欲しい。

沖縄へ行こう:4日目(中部編)・5日目(首里編)

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沖縄中部地域へ

4日目は那覇バスターミナルから43番系統で北谷ちゃたん町方面へ行ってみる。
この地域は「米国風」な地域があると聞く。

港川ステイツサイドタウン

港川バス停で下りて一本裏手に入ったあたりに、沖縄統治時代の米軍関係者向け賃貸住宅として建てられた鉄筋コンクリート造りの平屋住宅街がある。

www.okinawastory.jp

60年以上が経過しており老朽化著しいが、沖縄の住宅街にはない独特の雰囲気を持ち、また自由にリノベ可能ということで店舗などが多く入店しており、洒落たショッピングが楽しめる。

アメリカっぽさ」を売りとして、通りごとにアメリカの州名が付けられた案内板が。

ミシガン通りにあるオレンジ色の「Casa Machilda」は木のおもちゃを中心とした幼児向けおもちゃ屋

店内にはプレイルームもあって子供と一緒に遊ぶこともできる。

ネヴァダ通りの「黒糖カヌレ ほうき星」は様々なフレーヴァーを乗せたかわいい小粒のカヌレ屋。



こちらで買える焼きたてカヌレは日持ちしないが、空港内の店舗では日持ちする冷凍カヌレや黒糖クッキーも買える。可愛いので沖縄土産の新定番になる予感。







フロリダ通りの洒落た庭付き店舗「oHacorté」はフルーツタルトとサブレの店。



店内では美味しいフルーツタルトを食べられるほか、レモンケーキなら半月ほど、サブレなら1ヶ月半ぐらい日持ちするのでお土産にも。



なお、こちらも空港内に店舗がある。多くの土産物屋が連なる中央エリアではなく国際線エリア側なので注意。

美浜アメリカンビレッジ

バス停に戻り、同じく43系統で北谷方面へ行くと「アメリカ西海岸風」を謳うショッピングエリア「美浜アメリカンビレッジ」がある。
www.okinawa-americanvillage.com
バス停から海側へ15分ぐらい歩くと、派手な風合いの建物が見えてくる。
正直なところ「アメリカ西海岸風」なのかどうかはよくわからない。たしかにアメリカ系の服飾雑貨を扱う店なども入ってはいるのだが、むしろ「無国籍風」というか、わりと節操のないチャンポン感が。

正直なところ、「純正のアメリカン」である港川を見た後ではどうしても「偽物」感が際立ってしまうと言わざるを得まい。
どちらかというとここは観光地というよりも「地元民のショッピングスポット」のような気がする。

ただ、海岸沿いの風景は決して悪くない。



ここは西向きの海岸であり夕日が映えると聞くが、バスの最終は19時台で終わりのようで、夏場に夕日を眺めるには些か余裕が足りないのが残念。

おもろまち

この日は夕飯をどこで買おうか話し合った結果、一駅先のおもろまちまで行ってみることにした。
ここは米軍から返還された空き地を再開発した場所だそうで、リウボウが複合商業施設をオープンするなどして次第に商業施設が集まる「新都心」となりつつある場所である。那覇市街が空港から程近いために高層建築を規制されるのに対しおもろまちは規制範囲外のため、今後の発展が見込まれそうだ。
とはいえ現在のところは「どこの都市にもあるような」ショッピングセンターに過ぎず、沖縄県立博物館・美術館「おきみゅー」以外には観光客にとっての目新しさは乏しい印象。

首里城周辺地域へ

5日目はいよいよ首里城とその南側に残る古い石畳道へ。
とはいえ首里城の中核たる正殿を含めた建物は2019年の火災により全焼しており、一番の見所が失われている。さほど期待はせずに、ゆいレール首里駅へ。
駅からまっすぐに行くとすぐに首里城公園へ突き当たるが、守礼門のある正面側はぐるりと回らねばならぬらしい。歩くのが億劫ならバスで来た方が楽にアクセスできるだろう。

まずは守礼門をくぐる。

右には復元された石碑が、左には園比屋武御嶽石門そのひゃんうたきいしもんが。

歓会門を通って城壁内へ。

右手階段上には瑞泉門、その奥には漏刻門。左手には久慶門が見える。
奥の大きなプレハブは正殿再建区域。

石段を上り瑞泉門へ。階段状ではあるが各段は傾斜している。

門を通り、振り返って下町を眺める。

漏刻門は水の滴りで刻を測った「漏刻」が置かれたことに由来する。

城壁の上からの眺め。帰路側の久慶門と、今しがた潜ってきた歓会門が見える。

奉神門。中央は中国の使者など位の高い者しか通れない門であったとか。ここから先は有料区域となる。

中央の門は閉ざされている。

首里森御嶽すいむいうたきは場内に十あったという拝所の中でも最も格の高い場所であったという。

かつて正殿のあった場所全体は再建作業のため立ち入ることができない。代わりにというか、首里城復興の展示施設や休憩所の情報端末などで琉球王国の歴史を学んだりできる。
中国との関係が深かったことや薩摩藩の侵略を受け日本の支配下に置かれたことは知っていたが、「王の代替わりにあたっては中国からの使者を迎えて即位の儀式をせねばならない(琉球←→中国間の行き来には半月ほどを要した)とか、「新王が即位するたび江戸までの参勤が必要だった」とかは知らなかった。大変だな琉球王朝……

通路に沿って迂回し、奥側の遺構や見張り台であるあがりのアザナなどを見た後、久慶門を後にする。

守礼門側へ戻り、門の手前を左に抜けると琉球王国時代の16世紀頃に作られた石畳道に行ける。

どこからどこまでが16世紀の石畳道であるのかは定かではないが、そこに至る坂道もなかなかの風情。



たぶんこの辺りから先がそれではないかと思われる。




ガジュマルの聳える辻には休憩所。隣には水路で水を導いた共同の水場もある。


この先を更に下るとダムへと行き着くが、そのあたりにはバスの便もほとんどないため、ここから右に折れて坂を上り首里駅行きのバス停を目指すといい。



スチームパンクの動力源

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スチームパンクは明確な定義のないユルいジャンルだ、というのは繰り返し書いているが、それ故に「どうやったらそれらしくなるか」が漠然として捉え難い。
19世紀ぐらいの時代的イメージ、というだけでは単に懐古的な雰囲気に留まってしまう。
歯車モチーフはよく利用されるが、「ただ表面的な模様として使う」だけではスチームパンク感が足りない。
では、どうすれば「スチームパンクらしさ」が出るだろうか。

「スチーム・ガジェット」のイメージ

スチームパンク的装置をイメージする際に重要なのは、「スチームパンクとは機械化である」という認識だ。現代社会があらゆる点で情報化されているように、スチームパンク社会はあらゆる点で機械化が浸透している。
現代に於いて自動化されている部分はスチームパンク社会でも自動化され、人々は労働力の大半を機械に任せていられる。ただ、その解決方法が現代のように電気仕掛けではなく蒸気圧を利用した機械仕掛けであったり、電子的な演算による制御ではなくパンチカードと歯車による制御であったりする点に、大きな違いがある。

目に見えないほど微細で高密度に畳み込み表面的には仕組みを見せない電子回路とは異なり、機械式制御では歯車・カム・ピストン・シャフト・ベルトなどが複雑に絡み合い巨大化し、またその動作が視覚的に確認できる。人には感知できない電磁波で高速に通信を行なう電子式とは異なり、機械式では伝達のために何らかの物理的な接続が必要となる。
そういったことを念頭に於いて、現代社会をスチームパンクに描き直してみると、「史実の19世紀当時には有り得なかった高度技術」と「現代から見れば大袈裟すぎる物々しさ」というスチームパンクの特徴が出現する。

たとえば掌サイズの情報端末を想像してみよう。
現代のスマートフォンのようにタッチパネルのみを備えたシンプルな外観ではなく、通信用コイルアンテナが突き出ていたりダイヤルやプッシュボタンが所狭しと押し込められていたり、映像表示は単色電子管のオシロスコープによる走査波形の残像、あるいはせいぜい解像度の粗い白黒でぼんやりした画像程度、サブディスプレイとして数字あるいは英字を光らせる数桁のニキシー管が埋め込まれている。電力は腰のバッテリーから有線で供給、あるいは背中の発電タービンからかも知れない。

電気/電波が使える想定ならこの程度で済むが、その方面は突き詰めると現代の電子技術時代へとつながってゆく道でもある。電気・電子技術は蒸気機関を駆逐する要因なので、あまり追求しすぎると設定的には危うい。
逆に、敢えて電気も電波もない想定でやろうとするならばワイヤレスで情報を送受信する方法がなくなるため、携帯端末の用途は手回し計算機程度に限定され、高度な演算は(小型化されて家庭内にも置ける程度になった)解析機関内蔵の机を使う形になるだろう。

電気のないスチームパンク世界では、電力線の代わりに市街に張り巡らされた水道管とガス管の圧が家々へと動力を伝え、電話の代わりに近距離通話では伝声管(街中のあらゆる場所から交換局に繋がった管で交換手と会話し、相手先の伝声管と直結してもらう)、中距離では気送管(行き先をパンチカードで設定した専用パケットで文書を送ると自動交換塔経由で相手先へとパケットが届く)などで通信し、あるいは街頭のフリップ式ディスプレイがパタパタとめくれて文字列を表示するニュース掲示装置などが公共情報を担う。
管の繋がらない外の都市など遠距離での通信は光学視認通信、つまり旗や腕木あるいは光の明滅などを利用することで送受信される。

……だんだん「大袈裟な機械装置が高度に発達した」スチームパンク世界がイメージされてきただろうか。

動力の描写と時代感

スチームパンクといえば「蒸気機関」と「歯車」というイメージが強いが、実はこの二つは技術的にあまり重なっていない。なぜなら、歯車の用途は動力の伝達と速度の変更だが、蒸気機関ではこれらを歯車なしで行えるからだ。

蒸気機関の基本イメージ

史実における蒸気機関の代表格といえる、機関車の構造を見てみよう。
蒸気機関車の車体はほとんどがボイラーで占められている。漠然と蒸気機関車の絵を想像するとき、車体前方が横になった円筒状、前方上部には煙突があり、後ろには運転席があるイメージになるかと思うが、あの円筒全体がボイラーだ。
ボイラー内は水で満たされ、その後端つまり運転席内前方に石炭を燃やす炉(火室)があり、そこからたくさんの細いパイプ(煙管)がボイラーの水の中を通って前方の煙突へと繋がっている。このパイプを通った高温空気の熱は周囲にある水を瞬時に沸騰させて蒸気とする。
その蒸気は配管を通ってピストンシリンダーに送られて往復運動を発生させ、それが動輪の中心軸からずれた位置にある偏心軸に伝えられることで、往復運動を車輪の回転へと置き換える。
車輪の回転速度はピストンの往復速度によって決まり、これはピストンへ送り込む蒸気の圧力を弁によって調整することで変更ができる。

このように、蒸気機関車では動作に歯車を用いていない(もちろん、蒸気機関の利用形態などによっては歯車を介する場合もあるが、主流ではない)。むしろ蒸気機関らしさの演出に必要なのはシリンダーと配管、および各管に付けられた圧力計やハンドルの方だろう。また動作には水蒸気を発生させるための「水タンクと熱源」が必須ということも忘れてはいけない。

ではスチームパンクに歯車は不要なのかというと、必ずしもそうとも言えない。

時計仕掛けの時代感

歯車が強くイメージされる装置といえば、時計だろう。古くは錘の力やぜんまいなどで、回転力を歯車によって伝達し、また動作速度を調整するために歯数の異なる歯車で回転速度を変化させたりして複雑な針の動きを制御する。あるいは時計によって培われた歯車装置の応用として、自動人形などのからくり仕掛けも良いガジェットになる。

機械式時計の発明は8世紀頃の中国だが、11世紀頃からヨーロッパなどでも時計台が作られ始め、16世紀には持ち歩ける懐中時計が発明された。さらに小型化した腕時計の登場は18〜19世紀だが、普及は20世紀に飛行機が発明され、航法のために「操縦しながら時間を確認する」必要が生じて以降のこととなる。
時計仕掛けの利用時期は、スチームパンクの中心である19世紀頃と重なってはいるものの時代が前後に広く、したがって「スチームパンクで歯車をモチーフとする」ことは間違いではないものの、主役ではない。歯車が主役となる世界は(広義のスチームパンクとして扱われることはあるが、狭義には)「クロックパンク」と呼ばれる。まだ「機械化」が動力的なものにまでは及んでおらず、移動は馬車で、船は帆船、飛行装置はまだちょっとない時代。

エンジンと真空管の時代感

あるいは逆に20世紀以降、蒸気機関ではなく内燃機関が普及してきた時代ならば歯車はふたたび主役となってくる。蒸気圧で速度をコントロールしていた蒸気機関とは異なり、内燃機関は「一定の速度で回転させ続け」るエンジンから変速機のギアを介して必要な速度を得る仕組みであるため、複数のギアを切り替えて「ギア比」を変化させることでコントロールするからだ。
現代に連なる技術ではあるが、未だコンピュータ制御技術などが未発達で機械的な仕組みによってコントロールする装置であった時代をイメージして、こちらは「ディーゼルパンク」などと呼ばれる。時代感ではだいたい1920〜70年頃、スチームパンクの終わり頃から電子時代の手前ぐらいまでのイメージである。真空管などはスチームパンクよりディーゼルパンクの範疇だろう。

レンズを上げよう

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半年ほど前に新調したばかりだった眼鏡のレンズに、思いっきり傷を付けてしまった。

近視+乱視により裸眼では最長40cmぐらいの範囲にしか合焦できないのだが、眼鏡をかければ遠方から手元まで不自由しなかった。しかし老眼が進行してきたために、今や矯正視力での最短合焦距離が40cmぐらいになってしまい、それより近くを見るためには眼鏡を外さざるを得ない。
これは意外に不便なもので、本を読んだり携帯機器を使う時の距離はだいたい30cmぐらい、PCなどキーボード越しに画面を見る場合は60cmぐらいなので、PCの前に座ってiPadを併用するような(ごく日常的な)見方では眼鏡をかけたり外したり、頻繁に切り替えることになってしまう。

そんなわけで眼鏡をかけたり外したりすることで対応していたわけだが、今までならかけっ放しだった眼鏡を急に外すようにすると、咄嗟にしまう場所がない。無論、眼鏡ケースを持ち歩くか、あるいは眼鏡チェーンなどで首から下げておくのが順当ということになるが、今までそうした風習がなかったため、やむなく車内でiPadを見ているあいだ眼鏡をバッグに放り込んでおいた。
……結果、眼鏡のレンズがバッグの中でカメラのローレットと擦れて盛大な擦傷を付けてしまい、視界に靄が……

とりあえずレンズは交換せざるを得ないが、この傷はいちいちかけ外しを繰り返すという運用の結果である。できれば運用スタイルから変えてしまいたい。
かけ外しの煩わしさを解消する手段として一般的なのは、レンズ下端の矯正を変える、いわゆる老眼対応レンズだろう。正面を見る場合は近視矯正されたレンズを通して、下の方を見るときは矯正のない(あるいはピントを手前に寄せた)状態で。
ただ、先にそのタイプを作った愛妻に拠ると「結構使いにくい」とのこと。どうやら慣れが必要らしく、結局このレンズは使われず以前の眼鏡に戻してしまったようだ。

それならフレームごと新調して「外してもしまわなくて良い」眼鏡にしようと考えた。つまりレンズ跳ね上げ式のフリップアップフレームである。

www.zoff.co.jp

以前の眼鏡をZoffで作っていたので、今回もZoffフリップアップのフレームを探す。オンラインストアにユーザ登録すると、氏名と電話番号から実店舗での購入履歴が検索され、以前のレンズと同じ度数で眼鏡を購入できる。
……のはいいのだが、仕上がりには少々時間がかかる。実店舗での購入なら、在庫のあるものをその場で購入する限り加工調整には1時間程度で済むのだが、オンラインで購入したものは購入から出荷まで4日ほどかかった。急ぎの場合は店頭購入をおすすめする。
ただ、店頭だとフリップアップの在庫はあまり多くなさそうだ。私の選んだタイプも、実店舗での在庫は地元の店舗にはなかったので、種類にこだわるならオンラインが確実だろう。

フレームは二重構造になっており、レンズのないオーバーリムのフレーム上にヒンジがあってレンズを支えるフレームと結合している。レンズ側フレームの上下を指で挟んで下側をぐいと上に押し上げればレンズが90度跳ね上がって視界が素通しとなり、近距離を見やすくなる。眼鏡そのものはかけっぱなしなので紛失したりレンズを傷めるようなこともない。遠くを見たいときはレンズを引き戻せばいい。とても簡単だ。

無論、欠点もある。
跳ね上げはどうしてもレンズを直接触って指紋を付けやすい。
また跳ね上げ状態では上方にわずかながら「歪んだ視界」が見える。これが影響しているのか、頭痛を誘発することもあるようだ。
レンズを下ろしたときにも、わずかに垂直になっていなかったりすると補正が狂う。
そうした欠点と、眼鏡自体のかけ外し、あるいは遠近両用レンズ、それぞれの利点・欠点を比較して自分なりの最適を探るといいだろう。

アークナイツの育成時間

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アニメ放映によって離脱していたドクターの復帰や新人ドクターの着任が増えたようで、育成に苦労する様が伺える。

アークナイツは育成にコストのかかることで知られる。とりわけ高レア育成ではゲーム内通貨と素材がものすごい勢いで溶ける。ついでに時間も溶ける。
闇雲に理性と時間を溶かしながら攻略しても良いのだが、「新キャラの育成にどれぐらい時間がかかるのか」を把握しておくと育成計画も立てやすくなるのではないかと考え、ちょっと計算してみた。

オペレーター☆数によるコスト差

アークナイツのオペレーターには☆1〜6までのレアリティがあるが、それによる育成上の差は次のようになっている。

☆数最大レベルスキル数総経験値総龍門幣2昇進まで経験値2昇進まで龍門幣
☆1無昇進30Lv098006043--
☆2無昇進30Lv098006043--
☆31昇進55Lv1115400104040--
☆42昇進70Lv2(1昇進時)484000476337150200206241
☆52昇進80Lv2(1昇進時)734400819325239400371947
☆62昇進90Lv3(2昇進時)11114001334796361400589841

これはレベルMAXまでの育成+昇進コストの合計である。
☆1はロボット、☆2は人間だが、育成上で差はない。
☆3は昇進1までしかないため、スキルレベル特化・モジュールの対象外となる。また☆4以降とは異なり、昇進しても第2スキルが追加されない。
☆4と☆5は最大到達Lvが異なるため育成コストに差があるものの、スキル数や特化、モジュールなどの面では差がない。
☆6は唯一昇進2によって第3スキルまで解放され、また素質も2種類となる。

☆3と☆4では育成コストが4倍も異なる。☆4と☆5、☆5と☆6では1.5倍程度の差があるので☆4と☆6では2倍以上の差、とりわけ龍門幣の方は経験値よりも差が大きいため3倍弱にも達する。
概して低レアの方が育成しやすく、また配置コストも低いため序盤の戦力としては使いやすい。逆に高レアの突き抜けた強さは魅力的ながら2昇進程度まで育成してこその強さということも多く、育成にかかる負荷は大きい。
単純な話、☆6を1体育てる余裕があれば☆4が3体育てられる。既にある程度の戦力が整って育成の余裕がある、または最大戦力を以てしても突破できない難敵に足踏みしている状況ならば、より強大な戦力を目指して高レア育成を始めるのもいいが、最初のうちはおすすめしない。
まずは☆3の育成を中心に戦力を固めて攻略を進めつつ、要所を☆4に置き換えることを目指した方がいいだろう。☆4は(スペックやスキル性能に差はあるものの)基本的に☆5と遜色ない構成ながら安価に育成でき、また出現率が高い分だけ潜在力を上昇させやすい。
突破できない箇所ではフレンドから高レアを借りてその使い勝手を確かめつつ、長期的な育成目標を立てよう。


ところで、この経験値と龍門幣の量を稼ぐにはいったいどれぐらいの時間が必要なのだろうか。

理性消費から必要時間を考える

アークナイツではステージ挑戦にあたり「理性」を消費する。
理性の最大値はプレイヤーのレベルによって違うが、回復速度は上限に依らず1時間あたり10である。つまり「使い切ってから溢れるまでの猶予」はレベルに応じて広がるものの「1日に使える量」は常に一定で、24時間あたり240ということになる。
これに配布される理性回復剤の分が加わる:週間任務達成で得られるのは上級理性回復剤+(回復量200)x2個。一週間あたりの最大理性量は240x7=1680なので合計2080。そのほか月パス(680円)を購入していれば毎日のログインで初級理性回復剤+(回復量80)が得られるので、1週間あたりに消費可能な最大量は2640となる。
従って無課金でも1日平均297、月パス課金すれば377ほどを使える計算である。
(もちろん、これは理論上の最大値に過ぎない。実際には理性を溢れさせるなどの事情で、利用可能な理性量はこれよりも少なくなると思われる)

経験値の入手方法

まずは経験値を稼ぐことを考える。
経験値の入手方法は大きく分けて「ステージクリア時の報酬」「ログインボーナス」「基地での製造」「購買部での購入」といった手段がある。
このうち不確定な「購買部での購入」は除外して、他の3種について考える。

経験値:戦術演習(LS1-6)

経験値はあらゆるステージで入手可能だが、効率良く稼ぐには(イベント報酬などのイレギュラー以外では)戦術演習ステージを周回するのがもっとも効率が良い。

ステージ消費理性入門作戦記録(200)初級作戦記録(400)中級作戦記録(1000)上級作戦記録(2000)合計理性1あたり龍門幣
LS-110131400140120
LS-215553000200180
LS-3202234200210240
LS-42523214600184300
LS-5301137000233.3360
LS-6362410000277.8432

戦術演習では作戦記録がドロップする。厳密には固定数ではなく確率ドロップであるらしく若干のバラツキはあるらしいのだが(特に理性あたり効率が却って下がるLS-4はもしかしたらドロップ数違うかもしれない)、ほぼこの枚数で確定に近い割合ではあるようだ。
LS-1→2の理性効率幅に対し、以降LS-5まで上がり幅は小さいものの効率自体は向上している(LS-4以外)。LS-6は大きく効率が上がるので周回できる体制を組みたいが、LS-5以降は攻略がぐっと厳しくなる。LS-4以外で自力☆3攻略可能な最大のステージを周回しよう。
単純計算すれば、1日あたり平均理性量xLS-6の理性1あたり経験値効率から、無課金で82506/日、月パス課金で104730/日が見込めることになる。実際には1回あたり消費理性36、経験値収益10000であるので端数を丸めて1日あたり8回(8万)および10回(10万)ということになるだろうか。LS-5ならば7.5万あるいは9万/日、LS-3ならば6万あるいは8万/日ほどになる。

経験値:ログインボーナス

月間ログインボーナスとして、一週間ごとに作戦記録が入手できる。第1週は入門x10(2000)、第2週が初級x10(4000)、以降中級x6(6000)上級x4(8000)上級x5(10000)と上がってゆくので、4週までしかない2月以外は30000(2月のみ20000)が得られる。
1日あたり8〜10万と比べれば微々たる量のため、育成効率にはほとんど影響しない。

経験値:基地内製造

Lv3の製造所では中級作戦記録を製造することができる。
製造効率は配置オペレーターのスキルによって左右されるが、無スキル状態で1日あたり8個(8000)、最高効率ならばその倍ほどとなる。理性全開での経験値周回と比べれば1/10かそこらとはいえ、複数の製造所を回せばそれなりの量にはなる。

経験値:合計量

ステージ周回で1日8万、基地の製造で1日8000+効率50%x3箇所=1日3.5万程度と仮定して1日あたりの経験値獲得が最大11.5万(月パス課金の場合は+2万)。つまり☆4ならMAX育成までに最短4日、☆5で一週間弱、☆6でも10日で稼ぐことが可能ではある(ただし経験値のみであって龍門幣はまた別に稼がねばならないわけだが)。

龍門幣の入手方法。

次に龍門幣の稼ぎ方を考える。こちらも「ステージクリア時の報酬」「ログインボーナス」「基地での製造」「購買部での購入」になるので、「購買部での購入」以外の方法を考えよう。

龍門幣:貨物輸送(CE1-6)

ステージ消費理性龍門幣理性1あたり
CE-1101700170
CE-2152800186.7
CE-3204100205
CE-4255700228
CE-5307500250
CE-63610000277.8

こちらは理性効率が順当に上がってゆくので無理せず攻略可能な範囲で周回すれば良いが、とはいえ高難易度の効率は魅力的だ。
これも戦術演習同様、CE-5以降でぐっと難易度が上がる。
CE-5およびCE-6を周回するときの効率はLS-5・6のそれと同様、7.5万あるいは9万/日、8万あるいは10万/日となるがCE-4以下は量が異なる。CE-4であれば6 .5万あるいは8.5万/日ほど。

龍門幣:ログインボーナス

月間ログインボーナスでの龍門幣は初週2000、以降週あたり2000づつ増加して合計3万(2月のみ2万)。

龍門幣:基地内製造

龍門幣は基地内で製造した金属を、貿易所での受注によって売却することで生み出される。経験値とは異なり2段階を経るが、受注速度が金属の製造速度を上回ることはそうないと思われるので実質的に受注速度だけを考えれば良いだろう。
売却数は2〜4個と幅があり、量の多い方が若干効率が良いものの、大きな差があるわけではないので最小個数状態で考えると1日の受注数は効率0%で10回(20個)、100%ならその倍となる。1個あたりの売却価格は500なので1〜2万ほどが加算される計算である。複数製造できれば莫迦にならぬ量にはなる。

龍門幣:合計量

ステージ周回で1日8万、基地の製造で1日1万+効率50%x2箇所=3万程度と仮定して1日あたりの獲得龍門幣が最大11万(月パス課金の場合は+2万)。
☆4ならMAX育成までに最短5日、☆5で8日前後、☆6でも12日で稼ぐことが可能である。

総評:合計日数

☆4をMAXまで育てるためのリソースを稼ぐのにかかる日数は、経験値4日+龍門幣5日=9日。
☆5は15日、☆6なら22日が必要になる。
ただしこれはMAXまでの育成コストであり、2昇進Lv1までであればもっと安く済む。とはいえ経験値はLxMAX時の1/3程度で済むものの、龍門幣の方は多額の昇進コストが加わるため割高で、およそ半分弱といったところ。合計すると☆4で4日、☆5が6日、☆6で10日ぐらいだろうか。

同性婚と重婚と近親婚

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同性婚を巡る議論の中で、「同性婚が認められるならば重婚や近親婚も認められるべき」という主張を見掛けた。
同性婚とは直接関係のない主張がどういう理屈で持ち出されているのかよくわからないが、(無理筋の主張を通すことで同性婚を諦めさせようという魂胆でないのだとすれば)「いずれも従来の婚姻制度を覆す点では同列である」という意図だろうか。

同性婚は、従来ならば男女と定められていたものを男男あるいは女女にまで広げるものである。その結果、従来の婚姻と何か違いがあるかというと、せいぜい「同性間では生殖を行なうことができない」点ぐらいに留まる。従って、従来との違いを理由として同性婚に反対するとしたら、それは「子供ができないから」駄目なのだ、という理屈となろう。
すると逆説的に、異性婚は「子供ができるから認められている」ということになり、その延長線上として「(同性婚が子を生めないから許されないのであれば)異性婚であっても子供を生まない/生めない場合は婚姻を認められない」という理屈に到達する。
つまり、「子を生めるかどうか」を理由として同性婚を認めないのであるならば、それに基づいて婚姻にかかる法が改正されねばならず、男女間であっても子を生むまでは婚姻が認められないようにせねばならなくなるはずだ。
結果として、同性婚を認めることにより生じる法改正よりも、認めないことによる法改正の方が面倒なことになるだろうと予想される。

重婚に関しては、当人同士の自由意志に基づく行為としては認めても良いのではと個人的には考えるものの、かかる法的手続きは決して軽くはなさそうに思われる。
まず従来の法に於いて婚姻が常に二人間でのものとして法整備されてきたという事実から、これを覆すことになる重婚への対応は世帯の概念や扶養関係、財産分与や共同所有など広い範囲にわたり見直しを迫られるものと予想される。
また実施にあたっても、たとえばA・B間の婚姻にCとの婚姻を加え重婚とする場合にA・C間だけでなくB・C間の意志も問われることになるはずであるから人数が増えるほどに婚姻関係の成立はややこしいことになるだろうし、またそうした関係性の中での出生・養育などが整理し切れるのかどうか、甚だ疑念に思われる。

一方、近親婚の方は生物学的見地から好ましくないとされてきたが、その点が無視できるとしても「幼少期からの対等でない関係性にある」近親者との婚姻には慎重であるべきと考える。たとえ双方が成人しており自由意志に基づいた婚姻であると主張しても、そう言い切って良いかどうかには懸念が残る。

以上から、同性婚については容認し、重婚・近親婚については保留とするのが現時点では妥当ではないかと考える。

あしかがフラワーパーク

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日曜日の予定が唐突にキャンセルとなり午後が丸々空いたので、唐突に思い立って栃木県の「あしかがフラワーパーク」へ行ってきた。
あしかがフラワーパーク


関東在住なら名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。主に藤の花で知られる観光地である。
元を辿れば戦後すぐの頃、足利市の大地主であった早川氏が藤を植えた庭を近隣の人にも開放したのが始まりだという。その後、市の都市開発に応じて土地を明け渡し、現在の地に移転。
当時、大藤は樹齢130年、幹回り3.6m、棚面積は600m^2にもなり、そのままでは移植できない。そもそも幹が脆い藤の、幹回り1m以上の大木の移植は前例がなく、数年にわたる検討と1年におよぶ準備の末、1997年にあしかがフラワーパークとして開園した。
この藤は県の天然記念物となっているだけでなく、2014年にはCNNによる「世界の夢の旅行先10」に選定されたそうで、海外からの観光客も多い……のだが、逆に関東民は意外に訪れたことがない場所ではなかろうか。私も初めてであった。

交通

都内からはJR宇都宮線で小山(おやま)駅、あるいは東武日光線栃木駅からJR両毛線に乗り換えてあしかがフラワーパーク駅へ。片道およそ2時間ほどの旅路である。
うちからだと最寄り駅が京浜東北線なので浦和で乗り換えの予定だったが、1分差で便を逃してしまったため到着予定時刻が30分ずれる……と思ったら上りの便で赤羽へ出ると乗り換え予定だった便を掴まえられるのだった。Yahooの乗り換え案内なんで最短でない経路提案してくれないんだ……

古河駅を過ぎ、利根川を渡って小山へ。

小山駅東北新幹線の停車駅でもあり、駅内にはコンビニやカフェもありちょっとした食事には困らない。

両毛線は小山から高崎までを結ぶ単線路線で、1時間に1〜2便程度しか列車がない。またドアは半自動扱い、すなわち「駅に着いてもドア脇のボタンを押さないと開かない」ので、乗り降りの際には注意のこと。
Suicaの簡易改札を備えた駅を出ると、園はすぐそこである(入口までは少し歩くが)。

なお自動車だと多分東北道佐野ICか北関東足利ICあたりからのアクセスになろうかと思う。駅前に専用駐車場がある。

料金

入園料金は開花状況によって異なるため、当日の朝までわからない(最大で2200円)。
なお園内には複数の売店がありソフトクリームや軽食などを売っているが、暑い日はかなりの列ができる。自販機もあるが数が少なく売り切れやすいので、予め飲み物の一本ぐらいは持ち込んでおいた方がいいだろう。

園内

園の入口からもう藤の花が飾られており、入口をくぐって売店も藤にあやかった商品がずらりと並ぶ。流石は藤で有名な場所だけある。

園内に植えられているのは藤だけではない。様々な花が植えられ園内をカラフルに彩る。



とはいえ主役はやはり藤。





この日は紫の藤と薄桃色の藤が盛りを迎えていた。白藤はもう少し遅いようで、咲き始めてはいたがまだ見頃には早い。

そしてこちらがフラワーパークの目玉となる、大藤棚である。


園内にはこの大長藤以外に八重藤、二連大藤と4本の大藤棚がある。

園内にはあちこちに水路が設えられ、橋が架けられている。


また水面に枝を垂れる木も多い。


藤も見事な枝振りに剪定されていたし、これらの樹木も景色として計算されたものだろう。

藤の時期は丁度つつじのシーズンでもある。色とりどりの花が咲き乱れていた。




花といえば桜というイメージがあるが、園内には梅も桜もあまり植えられていない。それでも散り際の八重桜が数本、あたりを薄桃色に染めていた。

綺麗に色を揃えて整えられた、メルヘンのような一角も。



藤の大スクリーン。日が暮れればライトアップされて輝くのだろう。

夜景も楽しみではあったが、なにぶん両毛線は1本逃がせば次が30分から1時間先、小山に辿り着いてから家までは更に1時間半。あまり遅くなる前に帰らねばなるまい。
夕日を惜しみつつ帰途。


次に来る時は栃木市内にでも宿を取って夜景を撮るつもりである。


ホグワーツ入学

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ハリー・ポッター:魔術の覚醒」を始めた。
www.harrypottermagicawakened.com
モバイル/PC用のオンラインRPG/対戦ゲームである。原作同様、プレイヤーはハグリッドに連れられてダイアゴン横丁で入学準備を整え、9と4分の3番線からホグワーツ特急に乗ってホグワーツ魔法魔術学校に入学する。

(私はそんなに熱心なシリーズのファンではなく、原作小説は読んだことがないし、映画も最初の3作ぐらいは見たという程度の知識しかないので、あまり細かいところを適切に評価できていないかもしれない前提でお読みください)

ゲームは映画の冒頭シーンを再現するかのように始まりはするが、自PCはハリーではなくまったくのオリジナルキャラであり、教師はともかく在校生にも原作の人物らはどうやら出てこないため、全体としては「ホグワーツ魔法魔術学校を舞台としたオリジナルストーリー」という風情である。とはいえ物語世界に引き込まれるような雰囲気はたっぷり味わえるだろう。

グラフィックは写実的なものではなく、イギリス児童文学の挿絵を思わせるタッチ。3Dのモデリングは映画のイメージをよく再現している。所どころポリゴンの描写にちょっと怪しいところがあったりズレが見られたりするのはご愛嬌。

コミカルで表情豊かなキャラクターたちは、敵も味方もなかなかに魅力的だ。家柄を鼻にかけるような高慢なキャラや度を越したイタズラ好きのいじめっ子たち、あるいはちょっとひねくれ者や引っ込み思案で周囲に馴染めない生徒たち。それぞれにトラブルメーカーで、次々に引き起こされる事件がつまりメインコンテンツである「戦闘」にリンクしてゆく。

戦闘の基礎を成すシステムは、いわゆる「クラロワ系」の変種である。

予め呪文のコレクションから8枚を選び出してデッキを組み、時間とともに溜まってゆく魔力のゲージを消費することで呪文を唱える。敵魔法使いのHPを0にすれば勝利、自分のHPが0になれば敗北だ。
ただクラロワとは違って固定された陣地は存在しない。召喚物は自身から一定の距離範囲に出現させることができ、自身も(回数の制約はあるが)移動することでポジションを変え、敵の攻撃範囲から退避したり追い詰めて移動することができる。
これによりクラロワとはだいぶ異なるプレイ感に仕上がっており、戦術バトルというよりは緩めのアクションRPGといった雰囲気がある。

デッキに組み込む呪文カードはガチャで入手する。最初に1回だけ無料で引けるレジェンド登場ガチャは何度でも引き直しが可能な親切設計。


対戦がメインコンテンツとはいいながら、ゲームとしての比重は(少なくとも序盤の時点では)かなりの部分がストーリーを追うことに割かれており、戦闘はその合間に挟まれる対NPC戦が中心である。そのため対人戦に苦手感のある人でもそんなに気にならず遊べるのではないかと思う。
逆に、戦闘主体にやりたい人にとってはストーリーを追う時間が長く少々不満かもしれない(ただし、PvPについては「決闘クラブ」で好きなだけマッチできるため、ストーリー抜きでやり込むことは可能だ)。とはいえストーリー進行に伴って手に入れられる呪文カードも多く、またミッション報酬によるガチャチケなどもあるためストーリーは積極的に追ってゆく方が良いだろう。

その他、ミニゲームとして「舞踏会」がある。リズムに合わせて出現する円をタップする、要するに音ゲーであるが、タイミングの判定はわりと緩い。反面、タイミング合わせが直線ではなく円の大きさで示されるのでちょっとリズムが掴みにくいところはある。

ダンスはパートナーと組で行う。フレンドを誘うことも、クラスメイトのNPCを誘うこともでき、男女ペアだけではなく男=男でも女=女でも問題ないのは現代的だ。
その反面、キャラの作成では男女が明確に区別される。アバターパーツには男女で互換性がなく、口調も固定で変更できない。寮という設定上、男女を同室にできないシステムはまあ理解もするが、外見までもが縛られる理由はないのでは。
(なお、クィディッチもミニゲームとして登場するのではないかと予想されるが、少なくとも私の進行度ではまだ出現していない)

原作登場キャラは主に教師などに限られており、ストーリーもオリジナルであるため、原作再現派には少し物足りないかもしれない(一応、原作の主人公たちはデッキを強化する「共鳴」や他の魔術師との共闘を表現する「仲間」カードなどとしては登場する)が、作中で描かれた幻想生物や魔術具などは呪文として呼び出すことができ、自分がこの世界の一員であるかのように感じさせるには十分なものがある。
対戦カードゲームとしても、ホグワーツRPGとしても十分に面白いので、ぜひおすすめしたい。

栃木:蔵の街

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栃木市内を観光してきた。全国で唯一の「県名と同名の市名でありながら県庁所在地ではない」、県内第三の都市というちょっと微妙な立ち位置ながらも意外に見所の多い街である。

栃木県の観光名所といえばまずは日光、鬼怒川温泉那須高原、あるいはあしかがフラワーパークなどが有名だが、実は栃木市も隠れた名所で、江戸時代の廻船問屋として栄えた栃木市には古い蔵造りの家屋が今も多く現存し、「蔵の街」と呼ばれている。
同じく江戸時代〜大正頃の建物が多い埼玉県川越、千葉県佐原と並んで「小江戸」と称される地域である⋯⋯のだが、どうにも知名度は今一つのような気がする。

8月の半ばまでで会期が終了となる足利市美術館の展示「顕神の夢」を覧に行きたかったので、ついでに栃木市で一泊して観光してきた。

宿泊

栃木市内のホテルはそう多くないが、駅すぐ横に真新しいホテルが1軒あったので、そちらに宿を取った。
business-activity-chanvre.com

アクセス性は抜群、1階はデリレストラン「FARMDELI」が入っているので食事にも困らない。




向かいのアンテナショップ「蔵なび」では栃木名産の土産物が買えるほか、ジェラートなどもやっている。

アクセス

栃木駅はJR両毛線東武日光線の接続駅であり、交通の便は悪くない。とはいえJRは、小山までなら上野東京ライン=宇都宮線で1時間20分程度、なんなら東北新幹線を使えばわずか40分で到着するものの、そこから栃木へは単線である両毛線での接続となり、その運転間隔は1時間に1〜2本と非常に少ない。対して東武日光線の方は少ない時間帯でも1時間に3本、多い時間ならば7本が運行されているので、これを使うのが賢明だろう。都内からは浅草・北千住から東武伊勢崎線、もしくはJR 宇都宮線栗橋駅から接続できる。
なお日光線両毛線も、ホーム停車時にドアが自動で開かないため乗り降りの際はドア脇のボタンを押すことを忘れずに。

今回は一泊したが、日帰りも充分に可能な距離ではあり、気軽に足を運びたい。

観光

駅からの大通りが「蔵の街大通り」である⋯⋯が、最初の500mぐらいはまったくその気配がない。だいたい700mほど進んで「文化会館入口」交差点を過ぎたあたりでようやくそれらしい建物が現れ始めるだろうか。




見世蔵の並ぶエリアの入口付近には「とちぎ山車会館」があり、隔年で行なわれる「とちぎ秋まつり」に使われる人形山車が常設展示されているそうだが、このときは臨時休館中であった。
そして、その先700mぐらいで蔵の街大通りは終わってしまう。
実は蔵の街大通りは街のメインストリートではあるのだが、観光名所としてのメインはこの通りではないようだ。

大通りの西側には「巴波(うずま)川」という小さな川が流れている。川にかかるたくさんの橋から水面までも2mあるかどうか、川幅は広いところで10m程度か、水深もごく浅く、澄んだ水を通してたくさんの鯉の姿がよく見える。、小舟しか通れそうにない穏やかな川であるが、「渦巻く」を語源とすることからもわかるように、かつては幾度も氾濫した荒れ川であったらしい。

江戸時代には徳川家康の遺骸を駿府久能山東照宮から日光東照宮へと改葬するにあたり御用荷物をこの河岸へ水揚げしたところから舟運が始まり、江戸時代には運送のハブとして大いに栄えたという。今でも川沿いに蔵が立ち並び、そのうちいくつかは資料館などとして公開されている。

また当時を偲んで観光用の小舟で川面を行く遊覧船が運行されている。

この川沿いの散策路が、まず駅からほど近い観光スポットの中心となる。
川岸にはガス灯を思わせるレトロデザインの街灯が立ち並び、夏場は灯籠が置かれ水面に灯りを映す。だいたい18:30〜19:00頃から灯り始めるようだ。



一方、大通りと川の間には「蚤の市通り」と名付けられた通りが走っている。ここは終戦まもない1953年から2011年まで定期的に蚤の市が開催されていたらしく、通り沿いには古道具屋などをはじめとしてちょっと洒落た店が立ち並ぶ。



なお蚤の市は2022年に復活し、今年も10月末に行なわれるそうだ。

通り沿いで見かけたこちらのお店は蔵を改装した、ええと⋯⋯シルクスクリーンプリントによるアパレルデザインやヴィンテージ品販売、キッチンカーまで幅広い謎の店。
bpljbplj.com




店内にはまめしば氏の姿も。大変おとなしい子で、ゆっくり撫でさせてもらった。

大通りも川沿いの散策路も蚤の市通りも、しばらく北へ進んだところで県道と交差して途切れる。
これで終わりか、と思いきやその北側になにやら古い洋風建築が。

実はここから先に伸びる「日光例幣使街道」こそが重要伝統的建造物群保存地区、古い建物がもっとも密集する地域であった。
日光例幣使とは江戸時代、朝廷から幣帛を奉献するために京から東照宮まで遣わされた勅使のことで、この道が当時の主要な街道であったらしいことが伺われる。







(余談ながら日光例幣使は道中で沿線住民に朝廷の権威に基づいた下賜品を配る見返りに金銭を得ることで金策に窮する公家の収入源となり、ときには勅使が駕籠を揺すって「朝廷の使いに失礼な」と担ぎ手に因縁を付け金銭を巻き上げるなどの狼藉をはたらく者さえおり、それが金品を強要する「ゆすり」の語源になったのだとか⋯⋯)


途中に小さな喫茶店のようなものを見付けた。シェアキッチン「Chidori」だそうだ。

walkworks.co.jp
古いとはいっても昭和初期ぐらいの小さな民家をシェアキッチンとして、曜日ごとに違う店が入っている。たまたま木曜日に訪れたのでTwilight Coffeeというコーヒー店だった。

「くらもなか」は栃木市の象徴である蔵の形をした最中皮に各店で独自の具を詰めるものらしく、Twilight Cofeeさんでは小豆餡と胡桃というシンプルな組み合わせ。香ばしさと甘味がコーヒーによく合う。

「カスカラのソーダ」はコーヒーの果肉シロップのソーダ割り。ちょっと他では見たことのない珍しさに注文してみたが、甘酸っぱく香りの良い飲み物だった。

お手製のパウンドケーキでいただく。

実は栃木市コーヒー店が軒を連ねる「コーヒーの街」なのだそうで、多くの店でコーヒーチェリーあるいはカスカラの名で果肉ソーダを提供しているようだ。


そのうち一軒、悟理道珈琲工房では夏らしくクリームソーダエスプレッソアフォガートをいただく。

コーヒー店だけではなく、大正時代の洋館を改装したレストランのメニューにまでコーヒーチェリーソーダがあった。



巴波川から更に西、県立栃木高校は明治時代の旧制中学を前身とする、創立120年近い由緒ある学校で、大正時代に天皇行幸を記念して建てられた図書館「養正寮」は国の有形文化財に登録されている。

その向かいにあるのは市立文学館、こちらも大正時代に建てられたもので、初代栃木町役場庁舎だったもの。




1階は入場無料で、2階が文学館となっている。



栃木出身である日立製作所の創業者、小平浪平と初の国産電動機が展示されていた。

この奥には市立美術館もあり、そちらは2014年まで同地にあった二代目市庁舎の跡に建てられている。
なお現在の市庁舎は大通りに面した、元福田屋百貨店の建物に入っている。同店が撤退したとき、ちょうど庁舎が築50年を越えて建て替え時であり、また平成の大合併の結果として手狭となり複数の建物に部署が分散していたことから新庁舎が求められていたが、既存建物の改築ならば新築に比して1/3の費用で済むと見積られ、また地元住民から百貨店の撤退に伴う人流減少への対策要望もあったことから百貨店の建物を改築し2階以上を市庁舎とし、1階には東武百貨店を誘致したとのこと。

川沿いに宿へ戻る道すがら、洋館を発見。

登録有形文化財に指定さた大正時代の医院であった。「栃木病院」の看板があるが、なんと現在でも現役の病院として営業中である。

実は蔵の街大通りより東にもいくらか古い建物があるのだが、そちらにも大正時代頃のものと思しき古い医院が。



残念ながらこちらは文化財としての登録はなさそうで詳細不明、また営業中かどうかも不明であった(入口付近の改修状況などから見て、少なくともごく近年までは現役であったと思われる)。

シーリングスタンプ:ワックス溶融炉とハンドルを作る

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シーリングスタンプのヘッドを作ったので、そのテストを兼ねてシーリングスタンプ用品を色々と揃えた。

シーリングスタンプというのは、手紙などに蝋を垂らしてスタンプを捺す封印のことだ。
古式では火の点いた蝋燭から溶けた蝋を垂らして捺したようで、今でも棒状で芯のある蝋燭型のワックスが使われるが、最近の流行りは粒状のワックスをスプーンに乗せ、炙って溶かすやり方である。
粒型の良いところは溶かす量を調節しやすいこと、そして複数の色を混ぜるのが容易であること。様々な色のワックスが販売されており、複数混ぜ溶かせばマーブル模様を楽しむことができる。

(余談ながらこれら粒状ワックスはワックスと言いながらも蝋ではなく、グルーガンで使われるのと同じ低温融点のEVA樹脂であるため蝋よりも柔軟で、割れの懸念がない。)

ワックス溶融炉

ワックスを溶かすのに特別な道具は必須でなく、手持ちのスプーンを使いガスコンロなどで炙るだけでも問題ない。が、持ち手が金属だと熱伝導によって火傷する懸念があるので非金属製の持ち手があるスプーンが必要だし、注ぎ口があった方が使い易い。また、溶けるまで手で支えるのでなく置いておける場所があると楽だ。
そういうわけで「ワックスウォーマー」とか「ワックスメルター」などと呼ばれる「専用スプーンを加熱してワックスを溶かすための炉」が売られている。

多くはスプーンを置く穴の下に蝋燭を設置し火で炙る、シンプルな方式である。蝋燭なので危険性は少ないが、「部屋の中で火を使う」ことに抵抗を覚える人もいるようだ。また全金属製でなく周辺部が木製のものでは「燃えた」という話も聞き、若干懸念がある。
もちろん、火を使わない電熱式のものもある。が、なぜか形状が「アヒル」「猫の肉球」⋯⋯⋯⋯

いや、ファンシーな可愛さが悪いわけではないが、少なくとも私の好みの路線ではない。もっとシックで、アンティークめいた雰囲気のものが欲しい。
なので自作することにした。

まず、電熱式のウォーマーを分解する。

シンプルな構造だ。電源からパイロットランプと発熱体に線が繋がっており、間にスイッチを挟んでいる。発熱体は金属板でスプーンを納める金属パーツに押し付けられており、ここを介してスプーンまで熱を伝える。
これなら筐体の自作に問題はなさそうだ。

むしろ問題はその筐体の素体である。アンティーク風のデザインを考えたいが、なにぶんこうした炉自体が近年の粒状ワックス以後に登場したものなので、そもそもアンティークの実物など存在しないのだ。
炉のイメージで色々考えてみたものの、丁度良さそうな大きさとデザインで、かつ加工が可能な素材のものを探すというのは容易ではない。
そこで炉にこだわるのを止め、アンティーク雰囲気の小物としてどう機能を収めるか考えてみた。
要はスプーンを置いて加熱する場所が収められれば良いわけで、ならば箱型でもいいのでは?

スプーンの長さは10cmほど。周囲のマージンを考慮しても、幅15cm程度に収めたい。
そのサイズで適当な箱を探したが、なかなかこれといったものが見付からない。アクセサリケースでは小さすぎ木箱の類では大きすぎ、あるいは素材が鉄やガラスで加工できない。数日悩んでいたが、ふと見た百均のマグネットフラップ付き紙箱がちょうど内寸155mmと手頃なサイズだったので、これを使うことにした。


板材に線を引き、部品を載せて配置を検討する。
スプーンは手前中央部。箱の奥行き方向は105mmだがスプーンの直径は40mmしかないので、周辺部に10mmのマージンを取っても奥側が半分空いてしまう。なのでスタンプヘッドを置く穴を作ろう。
制作したスタンプヘッドが2種類なので、左側に穴をふたつ。右半面が余るので、そこにワックスを入れた瓶を収める穴を作る。発熱体は左下側に来るので使用中もたぶんワックスが溶けてくっついたりはしないはずだ。
箱の内寸は高さ50mmしかないので、50mmに収まる小瓶を探さねばならない。最初は円形の小瓶を入れようとしたのだが、材質にガラスとある瓶を注文してみたら樹脂製で、安っぽくなるので採用を中止、代わりに空のインク瓶を採用した。

今回は丸く穴を空ける加工が多いので、ホールソーを購入する。スタンプヘッド軸を収めるための15mmと、スプーンヘッドを収める40mmのふたつだ。

ホールソーというのは要するに「刃を円形にした鋸」である。中央に軸があってドリルに取り付けて回転させることで板を切り抜く。
丸く穴を空ける道具としては他に「座ぐりビット」というものがあって、こちらは「回転させて板を削る」鉋のようなもので、穴を抜くだけでなく「円柱状に掘り下げる」ことができるのだが、その分だけ削るパワーが必要で、かつ木屑も多く出る。今回は穴を空けられれば充分と考え、ホールソーの方を採用した。

ホールソーとドリルで穴を空け、円形以外の部分は糸ノコで切る。端材で穴の後ろを塞いだので座ぐりビットで良かったのではという気もしたが、それだとスプーンの軸を受ける部分の削り出しが面倒になっていた気もする。
スプーンの受け部分は金属用のエポキシパテで接着。がっちり固まり耐熱性も高いので、発熱部の接着には丁度良い。

裏面に部品を配線してゆく。流用元のワックスウォーマーは電源コード直結だったが、箱からコードが出ているのもちょっと邪魔な気がするのでメガネ型ケーブルのコネクタを埋め込むことにした。
配線は単純な直列繋ぎかと思っていたら実は発熱体とパイロットランプLEDは並列だった。どうも発熱体はPTCヒーターと呼ばれるもので、温度上昇に伴い抵抗が増大し発熱量が下がる、自発的温度維持特性を持つ代物らしいのだが、つまり直列にするとLEDの分だけ抵抗が増え発熱しなくなってしまうようだ。
結線部分をハンダ付けし、熱収縮チューブで絶縁。

パイロットランプとスイッチは雰囲気がイマイチなので、ラインストーンを貼り付ける。
オイルステインで着色しニスを塗って、箱に収めて出来上がり。


箱の内張は黒のストライプでちょっとモダンに過ぎ雰囲気が合わないので、後からアンティークペーパー風の紙を貼った(トップの画像)。

ハンドル

最近のシーリングスタンプはヘッドにネジ穴が刻んであり、好きなハンドルを取り付けられるものが多い。
ということはネジの規格さえ合えば、ハンドルは任意ということだ。木のハンドルがもっとも一般的だが、金属や樹脂のハンドルなども販売されている。

⋯⋯自分でネジを買えばハンドルを自作できるのでは?

アンティークの鍵(風の金属チャーム)を購入し、これを改造してハンドルを作ってみる。

スタンプヘッドのネジ規格を調べてみたところ、M7だという情報を得た。これはネジの共通規格で外径が7mmであることを示す。日本ではM6以降は2刻みなのでM7というサイズはあまり使われないが、シーリングスタンプが主に海外の文化であるためそういうサイズ規格が一般的なのだろうか。
というわけでM7x10mmのボルトを購入した。

⋯⋯のだが、何故かこれで嵌まるヘッドと嵌まらないヘッドがある。
どうやらヘッドのネジ径にもM7とM8の2種類があるようだ⋯⋯
(というか一部のヘッドでなぜか「M7でもM8でも嵌まる」ものがある。径は違うがネジのピッチが一致していて嵌まってしまうんだろうか⋯⋯)

M8ならば手に入れやすい。

イモネジを使えばネジ頭の鍔部分がないので見た目もシンプルにできるだろう。

金属同士の接合用にはエポキシパテを使用した。

これは2液混合式で、強力ではあるが固まるまでは粘液状であるため支えを必要とする。流し込んで固めるなら良いが、形を整えるには不向きだった。
粘土のように練って使うタイプの金属パテをおすすめする。

鍵の先端をネジの穴に合わせてパテで接着しただけであるが、そこそこ雰囲気良くまとまった。
金属風とはいえ質感が異なるので、パテ部分は塗料を塗ってカバーしている。

届かない靴

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楽天に出店している石川県のショップで靴を注文したところ、数日後にショップから連絡があった。
「佐川急便から、年末キャンペーン期間中は荷物が殺到し、新入社員が伝票の貼り違いで間違って配達された可能性があります」とのことで、間違った荷が届く可能性があり(届いてしまった荷はどのように処分しても良い)、正しい荷が届かなかった場合は返金もしくは再出荷を受け付けるとのことだった。
私は足に合った靴を見つけるのが難しい都合があり、せっかく見つけた靴を是非とも入手しておきたかったので再出荷を希望。
それから10日ほどでようやくショップの注文ステータスが「出荷済み」となった。

ところが数日待っても荷は来ない。
ショップからの出荷情報にある伝票番号で追跡すると、荷はなぜか大阪のセンターから出荷され福岡の配達店が担当することになっている。うちは関東なのでこれは何かおかしい。
配達店に問い合わせてみたが、「その番号は宛名が違うし福岡県内宛」とのことで、おそらくショップから連絡のあった伝票番号は私の荷のものではないということになる。

そして注文した覚えのない靴が届き、これは例の「佐川のミスによる誤配」のブツなのかも知れなかったが、荷主はなぜか「注文したこともない大阪の個人名」であった。
なんらかの詐欺的手法、たとえば「架空の注文を装って適当な荷を送りつけて料金を請求する」みたいなのを懸念して荷主の住所で検索してみたところ、どうやら実在する住所のようではあり、また氏名からは住所のほぼ一致する個人店舗らしきものが出てきた。しかし靴屋というわけではなく店舗外観からすると青果店、しかし同名同住所でそろばん塾とそろばん通販なども出てくるようで、よくわからない。
ただ、この誤配荷物の取り扱いセンターは荷主住所と同市内であり、ここから配送されたという記録とは符合する。また偶然なのかどうか、私の荷物として伝えられた(が実際には違っていた)伝票番号も、同センターより出荷された荷ではあった。
また、誤配荷物の伝票に記された電話番号は10年前に解約した古い携帯電話番号であり、通販サイトでこれの登録が残っていたのは楽天のみであった。したがって、この不明荷物は「私の注文分ではないが、楽天経由で購入された荷ではある」ということなのだろう。
楽天のユーザ情報が流出している」という可能性もゼロではないが、おそらくは「楽天からの委託を受けた佐川のミス」ではないかと想像する。


ごく一般的な通販形態として想像されるのは、「ショップが自社内に在庫を持ち、注文を受けて伝票を作成・梱包したものを、配達業者が集荷・配送する」という形だが、このやり方ならば伝票はショップが作成し荷物もショップが用意しているので、「佐川の新人が伝票を貼り間違える」ことはない。
配送センター間で荷を移動するための管理ラベルを貼り間違えて、たとえば東京のセンターに送るはずだったものを福岡のセンターに送ってしまったというようなことはあるかも知れないが、その場合でも「伝票は正しく貼られている」ので福岡のセンター側で気づいて正しい配送センター宛に転送することになるだけだろうし、いずれにせよショップが作成した伝票の通りの宛先に届けられるはずだ。
したがって、「佐川が伝票を貼り間違えた」ということはつまり出荷にあたり「ショップではなく佐川が伝票を作成、貼付している」ことを意味する。

前述の通り、記載されていた電話番号は楽天にしか登録されていない古い電話番号であるためデータの出元が楽天であることは疑いないが、それが注文したことのないショップ名義の荷として出荷されたということは、

  • 楽天から佐川に送信された情報が間違っていた
  • 楽天から送られた情報を、佐川が処理する時点でミスして荷主と配送先の組み合わせがずれた伝票を作成した

のいずれかということになろうかと思われる。
そして、「間違って届いた荷物」も「私のものではなかった伝票番号」も同じセンターから出荷されていることを鑑みるに、おそらくは「ショップは自社店舗内で在庫を持たず倉庫内の商品を自社ページで陳列販売し、注文を受けるとデータが佐川に流れて伝票作成・出荷が行われ、その伝票情報がショップへ送られる」のだと思われる。楽天が出店者向けにそういうサービスを展開しているのか、それとも佐川がやっているのかはわからないが、私の注文した石川県のショップも「販売者の住所は石川県だが商品の発送元は大阪」なのではなかろうか。
もしくは、倉庫にストックしてあるのでさえなく「注文が入ると中国あたりの業者に発注、大阪のセンターへ送られてきたものを国内へ発送」という可能性もある。

私の元へ誰かの注文した靴が届いたように、私の注文した靴も誰か知らない人の元に届き、不用品として処分されるのだろう。もしかしたら福岡に行ってしまった荷物こそが私の受け取るはずだった商品なのかもしれない。


ところで当該商品は最初Yahooストア内で発見したものの履けるサイズが存在せず、Amazonで同じ商品のラージサイズを発見したので注文したら「そのサイズは在庫がありませんでした、代わりにこちら(ぜんぜん違う靴)はどうですか?」と言われ、「別のカラーで同じサイズの在庫はないのか、あるいは注文した商品の取り寄せは可能か」と質問するも取りあわれず注文キャンセルとなった経緯があり、「本当にこの商品のこのサイズは実在するのか」疑っていたところ楽天でもラージサイズを発見して「本当にあったんだ!」と注文したら誤配のうえ再配送も届かないという、なんですか私には絶対買えない呪いでもかかってるんですか⋯⋯

神戸・大阪 古建築巡り

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神戸・須磨の洋館

神戸といえば北野の異人館が有名だが、もう少し離れた須磨にも実は素敵な洋館がある。
須磨離宮公園向かいにある「神戸迎賓館」(旧西尾邸)である。

www.nishiotei.org
大正8(1919)年の洋館で、レストラン/ウェディング場としても運営されている。


至るところにステンドグラスが嵌められており、室内を柔らかく彩る。


古い館だけあって流石に室内は暗く、窓からの光を背に受ける席だったのでライティング的には厳しかったが料理も撮ってみた。

おせち風前菜
真鯛と野菜の包み焼き
牛フィレ肉のステーキ
春色デザートの盛り合わせ

大阪・中之島〜北浜

中之島といえば明治時代のルネッサンス様式「中之島図書館」、辰野金吾設計の赤煉瓦建築「中之島中央公会堂」が非常に有名だが、実はこの近辺には他にも多数の古建築が残る。

中之島図書館
中之島中央公会堂

まずは淀屋橋に面する日本銀行大阪支店。東京の日本銀行本店と同じく辰野金吾の設計。

日本銀行大阪支店(辰野金吾設計)

中之島に架かる橋もまた古いものが多い。
水晶橋は昭和4年のもので、元は河川浄化のための可動堰だったものだそう。

水晶橋

難波橋は大正時代のもので、昭和50年に掛け替えられた際も当時の部材を残してその姿を保っている。

難波橋

中之島を南へ抜け、土佐堀通り沿いに東へ進み難波橋を過ぎたあたりに、明治時代の古い建物を利用した「北浜レトロビルヂング」がある。
元は証券の仲買業者の社屋だったものをカフェとして利用しているものだそう。2階からは川向こうのバラ園が一望できる。

北浜レトロビル

ビルを挟んで2軒隣りには大正時代の見世蔵を利用したカフェとカレーハウス。ゆるくカーブを描いた屋根が特徴的である。

見世蔵

難波橋のたもと、土佐堀通りを挟んで向かいにあるのは昭和初期の外観を残した大阪取引所。

大阪取引所

アール・デコ調の直線的装飾枠を透かしてステンドグラスが見える。

大阪取引所の窓枠

アール・デコ風といえば「ぢ」の看板で知られるヒサヤ大黒堂のビルも入口が謎にアール・デコというかフランク・ロイド・ライト風というか、そんな感じの装飾になっているのだが(ビル全体はごくシンプルな現代建築)、これは何なんだろう。

ヒサヤ大黒堂ビル エントランス部分

古建築風といえば光世証券ビル、煉瓦積み壁面に鍛鉄の装飾格子というクラシックな外見ではあるが2001年の建築とのこと。

光世証券ビル

難波橋からの堺筋沿いには古建築がいくつも立ち並ぶ。
まずは大正時代の「新井ビル」。

arai-bldg.com

次いで高麗橋野村ビルは昭和2(1927)年の鉄筋コンクリート造りで、1階のみ煉瓦装飾が施されている。7階は1964年の増築。

高麗橋野村ビル

その向かいにはギリシャ神殿を模した新古典様式の三井住友銀行大阪支店中央支店ビル、1936年竣工。

三井住友銀行大阪中央支店

実はこの近くにもうひとつ、1926年の大阪本店ビルもあったらしいのだが、そちらは見そびれた。

また少し先には1903年の和風建築、接着剤メーカー「コニシ」創業者の屋敷がある。

旧小西家住宅

ここからやや逸れるが、近くには日本の近代医学の祖である緒方洪庵の私塾跡も。

緒方洪庵

もう1区画先には1930年の生駒時計店ビル。フランク・ロイド・ライトの影響著しいスクラッチタイル張りのアール・デコ様式である。

生駒時計店ビル

www.ikoma.ne.jp

さて、ここからは西へ。平野通りを2ブロックほど進むと、1930年の「小川香料 旧大阪本社ビル」が見えてくる。

小川香料 旧大阪本社

次の三休橋筋を北上すると、見えてくるのはヴォリーズ(「メンソレータム」で知られる近江兄弟社の創設者)の設計による日本基督教団難波教会(1922年)と、辰野金吾による赤煉瓦建築、旧大阪教育生命保険ビル(1912年)というものすごい取り合わせ。



これを見ただけでも来た甲斐があるというもの。

更にもう少し北へ行くと、グランサンクタス淀屋橋
辰野金吾と片岡安により設立された設計事務所による、1918年の旧大阪農工銀行ビル外観を残すいわゆる「腰巻ビル」なのだが、上部の意匠もよく合っている。

三休橋筋の入口まで戻ったあたりには、特に保存建築の指定などはないが古い長屋の名残りが。
そのうち一軒、吉田理容所を紹介して終わりとする。

謎解きバッグを作る

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謎解きが好きで、夫婦でよく周遊型の謎解きイベントなどに出かける。謎解きキットを購入し、その指示に従ってあちこちを移動しながら謎を解いてゆくものだ。

街歩き謎解きを経験された方ならお解りかと思うが、謎解き中はしばしば、移動先で情報を書き込む必要が生じる。情報はたとえば碑文であったり看板であったり、街中にあるものから見つけることになるが、そうした場所の周囲に都合よく座れる場所があるとも限らない。そのため、立ったまま手に持った紙に書き込む場合もある。
そうした都合上、両手はなるべく空けておきたいので、謎解きキットは可能ならば鞄にしまって、 必要に応じて都度取り出すことになる。

謎解きキットは一般的に冊子類や封筒、カードなど複数の紙で構成されており、それらをまとめて袋などに入れて販売されている。もっとも一般的なスタイルは「切り離すとA4クリアファイルになる」手提げバッグ型で、長辺のサイズが33.5cmほどのもの。
もちろん中身の方はもっと小さいのだが、しかし謎解きでは「入っているものはすべて使う」ように作られており、袋が邪魔だからといって捨ててしまうわけには行かない。
さほど重いものではないから手に持ったまま紙を持つことも不可能ではないのだが、クリアファイル型では持ち手部分が帯状ではなく、薄く硬いクリアファイル素材に穴を空けたものだからあまり持ちやすくはなく、できれば腕か肩にかけられるようにしたい。

また、謎の中にはその問題に書かれた情報だけでは解くことができず、これまでに目にした別の情報を組み合わせて解くようなものもある。そういう場合に他の紙を素早く参照するには、さっと中身を取り出しやすい構造が望ましい。蓋の開け閉めに手間がかかったり、都度下ろさねばならないようではイマイチだ。
そうすると、両手の空く肩かけ鞄で、できれば蓋のないものが好ましい。
もちろん、謎解きの最中に出し入れするのは紙類だけではない。筆記用具にスマートフォン、乗車券や財布なども使うだろう。まあそれらは上着のポケットに収めておくという方法もあるが、いずれにせよ内部にはいくつかポケットがあって小物を整理できた方が、目的のものを取り出しやすいはずだ。

つまり謎解きに最適な鞄とは、

  • いつでも両手を空けておける肩かけ式で
  • 横幅33.5cm以上のものがすっぽり収まり
  • 中身がすぐ取り出せる蓋なし、内部ポケット付き

といった条件のものということになる。

そういうわけで「内寸33cm以上のショルダートート」を探してみた。
それがこちらである。

横幅34cm、マチ14cm。内部コーティングされ簡易防水性を備える。前部にポケット2、内部は横幅一杯の大ポケット1に2:3ぐらいに仕切られた中ポケット、その内側に折り畳み傘程度を差し込んでおける縦ポケットと小ポケット。

実際にこれで東京メトロの「地下謎への招待状2023」をやってみた。


この写真でお判りのように、「クリアファイルになる手提げバッグ」がすっぽり入る。とはいえトートバッグの大きさは外寸が34cmなので内寸は33cm程度、そこに33.5cmを入れているので若干無理はあるのだが、曲がる素材を幅のあるポケットに入れているのでどうにか収まる。
小さな紙類などは複数のポケットに分けて入れることもできるので必要に応じて取り出しやすい。また私は外出時はカメラを携行してゆくのだが、中ポケットにすっぽり収めることができた。
総じて今までにない快適さであった。フラップがないため雨には若干弱いが、濡れを心配するほどの雨では周遊謎解き自体が難しいので、そう大きな問題にはなるまい。

ついでにオプションとして、背面には「台のないところで薄い紙に書く必要が生じた」場合を想定したクリップボードを取り付けてみた。

バインダーとトートバッグの固定にはマネークリップを使用。ただこちらのバインダーには閉じておく方法が用意されていないため、ゴムバンドやクリップなど、何らかの工夫が必要になるので注意。
とりあえず地下謎では使う必要を生じなかったので、有効性は不明。

また、地下謎ではキット付属のペグシルに消しゴムが付いているが、そうでない謎解きキットの方が多いので消しゴムは携帯しておいた方がいい。
ペン型の消しゴムや、大型の消しゴム付きシャーペンがあると便利。

ただシャーペンを使う場合、謎解きキットの紙がコート紙だったりすると黒鉛の食い付きが悪いので、芯は2B以上の濃いものをオススメする。

Amazonのデジタルコンテンツが保証期間1年(かもしれない)件

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はじめに:この件、予想外に拡散されてしまったが私の誤認およびサポートとのやりとりの齟齬による誤解の可能性があるので後半を確認されたい。

発端は、2018年発売のSF小説を再ダウンロードしようとしたことだった。なぜかKindleのライブラリ内を検索しても当該作品がヒットしない。

買わなかったはずはない。確かに読んだ記憶はあり、しかし私は2013年にKindle導入して以降、「電書であるものは紙で買わない」ようになり、また借りに行くより買った方が早いので図書館も利用しなくなって久しい。
2015年には講談社が「書籍と電書を同時に発売」宣言したのを皮切りに各社とも電書を同時発売するようになってゆき、2018年頃にはすっかり同時発売が当たり前になった。同作もKindle予約購入で発売当日に入手した1冊だ。
購入履歴にも残っており、商品ページにも「お客様はこの本を購入しました」と出る。しかしライブラリにはなぜか表示されず、「コンテンツと端末の管理」で検索しても出てこなかった。

この作品は当初ハードカバーで出版され、その時点で電書を購入したのだが、のちに文庫化された際に上下巻に分割され、その形で再電書化されている。
通常、書籍から文庫化などされた場合でも「同じ本」として扱われることが多いようで、表紙が差し替えられたりはするものの読めなくなるようなことは経験がない。しかし2冊に分割されたとなると同じ本としては扱えまいから、書籍版が絶版となってkindleもデータが消されてしまったのかもしれないと考えた。
電子書籍は厳密には「販売」ではなく、ユーザはデータそのものの所有権を持たない。そのため販売側の都合によって購入した電書が読めなくなるケースがあることは認識していたが、まさか再読したいぐらい気に入っている本がそれに該当しようとは思わなかった。
1冊だけならば諦めもつくが、この本から連鎖的に思い出された別作家の何作かを調べたところ、同様にkindleで出てこなかったものが複数あったため、慌ててAmazonのサポート窓口を探した。

チャットで状況を説明する。
しかし最初の担当者は「購入した商品がKindleのライブラリや『コンテンツと端末の管理』に表示されない」旨とそうなった注文番号(の一部)を伝えた後なんの応答もなく、そのままタイムアウトしてしまった。判断しかねる内容で相談により結論が出なかったのだろうか。
そのまま次の担当者がログインしてきたので同じことを説明したところ、「過去1年以内に購入されたものに限り復元および再送ができるが、2018年の購入であるため不可」との回答を得た。
「1年以上経過したコンテンツが表示されない場合は再購入するしかないのか」「そうです」とのことであった。

以上が「Amazonのサポートから得た回答」であるが、これが「Amazonの公式見解」とは限らない。あくまで「サポートセンター(の、担当者)の見解」である。まあ「半公式」ではあるけれども、正確な回答でない可能性はある。
Amazonのチャットサポートは24時間対応だが、国内に24時間体制のサポートセンターがあるのではなく世界中の複数地域にサポートセンター(たぶん委託)があり、今この時間に応答できるところが応答するような仕組みなのではなかろうか。
今回の担当者は名前から判断するにアラブ系の方かと思われるが回答は明瞭な日本語の文章で、これが「日本向けサポートは日本語に堪能な担当者が行う」のか「非常に高度な機械翻訳処理を挟んでいる」のかはわからない。パッと見には機械翻訳を挟んでいるようには見えない自然なやりとりに思われたが、実際にはなんらかの齟齬を生じている可能性も否定はできない。

ともあれ、本当に「購入から1年以内しかコンテンツの維持が保証されない」のだとすれば由々しき問題である。今回はKindleのコンテンツについてのサポートを受けたが、窓口はPrime VideoやAudibleなどデジタルコンテンツ全般を担当しているらしく、他のデジタルコンテンツすべてに及ぶ可能性がある。

そもそもKindleは購入したデータをすべて保持し続けるように設計されていないものと思われる。
2014年1月現在、発売されているKindle端末の中で最大容量はおそらく64GB。電書データは活字だと5MB程度(200冊/1GB)、モノクロ漫画だと1冊50MB前後(20冊/1GB)なので64GBならば理論上は漫画で1200冊程度までは保持できる計算となる。タブレットならばもっと容量の多いものもあるが(iPad Proなら最大2TBがラインナップされている)、専用端末でないものはKindle以外にも写真や音楽、ゲームなどに容量が割かれるので、実際に保持可能な量はそう大きくは違わない。
そしてKindle内のデータはバックアップできない。端末を入れ替えたり、不具合で初期化する場合などはデータを復元してもKindle内のコンテンツは空で、都度ダウンロードし直すしか方法がない。最初からそういう運用なのだ。

またKindleアプリは経験的に、2000冊程度を上回ると動作が怪しくなってくる傾向がある。ページがうまく表示されなくなって白いままになったり(ピンチイン/アウトなどで再描画させると正常になるが、ページをめくるたびこれをやる羽目になる)、見開きで左右に同じページが表示されたり。したがって端末に十分な空き容量があったとしてもライブラリ内の全てのコンテンツを端末内に保持できるとは限らない。
こうした現象について過去にサポートを受けたが「コンテンツを削除してデータ量を減らしてくれ」ということだった(これはおそらくKindleに限らず他社電書でも似たようなものだと思われる)。

「2000冊もあれば大丈夫だろう」?
たしかに、総務省の2017年統計に拠れば、世帯あたりの平均書籍購入額は1年で1万円程度だそうで、そういう人ならば200冊もあれば多い方なのかもしれないが、こちとら本に埋もれて生きてきた本の虫共である。なんなら学校図書室の年平均購入費用より本にお金を使っている。2000冊でも収まるものではない。
そういうヘヴィユーザとしては、買ったものを保持し続けられない可能性は看過できない。

まず、先に重要な点を確認しておく:結論から言うと、当該コンテンツは再ダウンロードできた。
当初はライブラリに表示されず、検索しても出てこず、Amazonの「購入履歴」から「コンテンツと端末の管理」で検索してもヒットしなかった(サポートにもそう伝えた)ので消えてしまったのかと考えたのだが、履歴を150ページほど遡り購入時期の履歴に辿り着いたところ、当該作品が出てきた。
そこから端末への配信を行ってみた結果⋯⋯なのかどうかは謎だが、とりあえずKindleのライブラリでも再検索するとヒットし、ダウンロードできたため私個人としては当初の問題は解消した格好である。私の勘違いだったのであれ、なんらかの不具合だったのであれ、ひとまず2018年の書籍が文庫化によって消されたようなことはなく、データは再ダウンロード可能であった。

ただ、「1年以上経過したデータが消えたら買い直し」というサポート見解がAmazon公式なのか、という問題は残る。
こちらは公的な再回答を得ていないのであくまで憶測となるが、サポート担当者の勘違い──というか、私の説明を誤読したという線が濃いのではないかと考えられる。

当初問い合わせを行った時点では考えもしなかったし、私もそのように伝えはしていないのだが、ライブラリの管理上コンテンツの削除には「Kindle端末からの削除(ライブラリには残り、随時再ダウンロード可能)」と「ライブラリからの永久削除(購入した事実は残るがコンテンツを手放す。ライブラリにも残らず再ダウンロード不可能)」があり、後者を復活させる(間違ってライブラリから削除してしまった時の救済措置)期限が「購入から1年」ということではないか、という指摘を何人かの方から頂いた。

サポート担当者が(私が説明したつもりの)「端末から削除されたコンテンツの再ダウンロード」を「ライブラリから削除したコンテンツの復活」と勘違いした、という可能性は否定できない:というのも、チャットのログを読み返すと「削除されると、現在は復元できません」「本は永遠に残りますが、削除すると消えます。1年前の本しか回収できません」という表現があるのだ。
私はこれを(自らの質問趣旨に沿って)「端末から削除したコンテンツを再ダウンロードできることが保証される期限が1年以内」と読んだが、サポート側は「ライブラリから削除した本を購入履歴に基づき取り戻す期限が1年以内」と回答してきたのではないかと、一晩経って/コンテンツが無事ダウンロードできて冷静になった今としてはそのように感じられる。

だとすれば「コンテンツのダウンロード保証期限は1年」というのは誤解であって、「ライブラリから削除してしまった場合でも」1年以内の購入履歴であれば復活対応してもらえるが、1年を過ぎたものは買い直すしかないということになり、おおよそ納得できる話ではある。

(結)

現在のところAmazonへの再確認はできていないため、明確な結論はないが、この件でAmazonに問い合わせをなさった方がおられるので引用しておく。


蒸気装甲戦闘工兵開発史(4):英領サツマ

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前史

1854年
クリミア戦争に於いてロシアと対峙している英国は、ロシア艦隊がナガサキに寄港し補給を受けていることを確認、日本幕府に対し対ロシアの局外中立と英国艦隊の寄港許可を求めた(日英和親条約)。これは外交権を持たない英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリングの独断で行なわれたものであったが、後に本国からの追認を得、1858年には改めて日英修好通商条約が結ばれた。条約には函館、神奈川、長崎の開港および食料・飲水・薪の補給、公使館の設置、居住権、および海底ケーブル敷設権が含まれた。

当時の英国は、海底ケーブルの防水に不可欠な樹脂ガッタパーチャの独占により世界規模での通信事業を掌握し、英国領および主要各国を結ぶ電信網を構築しつつあったが、1842年の阿片戦争勝利に伴い南京条約で得られた香港租借地および上海租界への開通は遅れていたため、英領インドから英領マラヤ連邦・英領サラワク(現マレーシア)を経由し台湾、そして沖縄諸島伝いに九州で海底ケーブルを中継させたいという意図があった。
条約締結後、海底ケーブル敷設は急ピッチで進行し、1961年には薩摩まで、1962年には長崎から香港および上海までが通信圏内となった。

第一次薩英戦争

1862年、江戸付近で英国人が薩摩藩大名行列を横切って切り殺された(生麦事件)。英国側はその賠償と責任者の処罰を幕府に求めたが、既に政体として弱体化しつつあった幕府はこれに対し明確な対応ができず、英国は薩摩藩との直接交渉に移った。ここで幕府が主権者としての責任を曖昧にしたことは、のちになって大きく響いてくることとなる。

英軍は艦隊を押し立てて薩摩藩に圧力をかけることで交渉を有利に進めようと企てたが、これに対し薩摩藩は態度を硬化(通訳に当たった福沢諭吉が英国の要求を誤読、現場の責任者ではなく薩摩藩当主の処罰を求めていると誤解したのが一因であったとも言われる)、攘夷を掲げ対立した。
1863年8月14日、英軍側は要求が受け入れられない場合は実力行使に出るとの通告を行い、薩摩藩は開戦不可避と判断、ただちに艦砲の射程圏内と目される鹿児島城を出て、千眼寺境内に陣を布いた。
翌15日未明、英艦隊は湾内に停泊していた薩摩藩の船舶を拿捕する。これに対し薩摩藩は英国の攻撃と見做し湾内7ヶ所の台場に据えた砲台で砲撃を開始。英艦隊の砲よりも劣る旧式砲ではありながら、揺れる船上砲に対し安定した地上砲の利を生かし高精度の砲火を浴びせ、英艦隊は8隻中3隻が中大破という大損害を被った。
翌日、予想外の痛打を浴びた英軍は体勢を立て直し単縦陣を組んで湾内に進入、市街地を砲撃炎上させ、また砲台2ヶ所を撃破する。しかし薩摩藩の猛攻は止まず、上陸戦に移ることは叶わなかった。艦隊の消耗を鑑みた英軍は戦闘の継続を諦めて撤退。

この敗北は海底ケーブルを通じて英国本土に電信で伝えられ、精強たる大英帝国軍が「極東の未開国」を相手に勝利できなかった屈辱もさることながら、海底ケーブル設置拠点たるサツマが外国勢力の排斥を掲げたことは情報戦略的にも重大な問題と受け止められた。英国議会はただちに派兵を決定、1年後の7月初頭、英軍最新鋭の戦力がサツマへ到着する。

第二次薩英戦争

それは異様な船だった。乾舷は水面すれすれにあり、甲板の中央には艦橋が低く蹲まっている。屋根から2本の煙突が突き出し、マストに帆はなく英国旗が翻るのみ。艦橋を前後から挟むのは巨大な円筒、その切り欠きからは2門の砲が突き出ている。
H.M.S.デヴァステーション。アメリ南北戦争に於ける装甲砲塔艦U.S.S.モニターの成功を目にした英国が、急ぎ作り上げた最新鋭の装甲砲艦である。
船体のほとんどを海中に沈め、海水を天然の舷側装甲と為すことで装甲範囲を限定して重量を軽減しつつも防御力を高め、旋回砲塔により少数の大口径砲を柔軟に運用できる。それは最新の戦訓に基づいて設計され、最新の戦術をもたらす、最新の兵装を備えた最新の艦であり、まともな海軍力を保有しない日本へ差し向けるには明らかに過剰な軍備であった。逆に言えば、それだけサツマでの敗北は「大英帝国の威信を傷つけた」わけだ。

英軍はまずアームストロング式後装砲による素早い装填と大口径砲の火力を以て薩摩藩の砲台を粉砕し、海岸に接近して薩摩勢を威圧した。海岸から運用可能な可動砲ではデヴァステーションの射程を逃れることはできず、また敵艦の装甲を撃ち砕く火力がない。
次いで英軍は輸送艦を岸に寄せ、上陸を開始する。

砲艦も異様なら輸送艦も異様であった。乾舷は高く、窓は一つもない。船体は全体として矩形を成し、他の船のように中央を通る竜骨がなくジャンク船のように見えないこともない。その船首からは厚い平板が斜め上方に突き出しており、左右に結び付けられた鎖が後方へと伸びる。
船は真っ直ぐに浜へと乗り上げると、ガラガラと鎖の音を響かせながら船首をゆっくりと下げ始めた。先端が地に着いて斜面を成し、その奥には黒い荷が蹲っている。

その荷は船よりも更に異様だった。人の背丈の倍以上もあるそれは、前後に長い胴の前方から黒い煙を噴き出し、左右に突き出した脚でゆっくりと歩き出した。見ようによっては身を屈めた巨人のようでもある。
全身を黒鉄で覆った巨人が、槍刀はおろか種子島さえ通じない相手だろうことは明らかだった。砲ならば撃ち倒せもしようが、それは沖合の砲船が許さない。
数機の鉄巨人は進路上のすべてを薙ぎ倒し、踏み潰しながらゆっくりとした歩みで薩摩軍の本陣へと迫った。
薩摩藩士は起死回生を期して鉄巨人に肉薄戦を試みた。だがモンティニー蜂窩砲は驟雨の如く弾丸を撒き、近付くことさえ許さない。
わずか数時間のうちに薩摩藩は降伏し、英軍の占領下に置かれた。
これが、蒸気装甲戦闘工兵グレイヴ塹壕戦以外で使用された初めての戦争であった。

戦後

薩摩藩の降伏後、もはや幕府が日本の主権を有していないと見做した英国は同地を薩摩の支配下にあった琉球王国ともども英領サツマとして大英帝国の版図に組み込んだ。
面積こそ小さな領土ながら東シナ海黄海を押さえる場所であり、北太平洋方面への寄港地、またユーラシア北東部方面への海底ケーブル中継地として、英国の戦略的要衝となった。

日本は薩摩を取り戻したがったが、サツマに駐留するグレイヴと砲艦は生半可な兵力では打ち破れない。だが、それに対抗する装備を模索しようにも英国以外にグレイヴを作れる国はまだなく、また艦砲射撃によって制圧しようにも旧式の木造艦では英軍の装甲砲艦になす術もない。
結局、明治政府の樹立後も薩摩の返還は叶わず、サツマはその後長らく英国領として、日本の軍事的意図を制する楔として、また日本と英国の交渉窓口として機能し続けた。軍備の増強を図る日本を抑えるようにサツマ駐留英軍も都度増強されたが、それは現地の負担増加とともに英本国からの資金流入ももたらし、同地の経済をすっかり軍事従属的に組み替えるに至った。かつて同地にて醸造されていた蒸留酒、所謂「泡盛」は英軍の持ち込んだラムに駆逐され、多くの蔵元がサツマおよびリュウキュウにて広く栽培されるサトウキビの廃糖蜜から醸造されるラム酒の製造へと乗り換えた。
また基地から流出する西欧文化を日本政府は警戒し、国境地帯に鉄柵を巡らせ情報の出入りを制限したが、やり取りされる物資の緩衝材などに紛れて持ち込まれる英字の冊子類や国境を超えて届くラジオの電波などは防ぎようがなく、九州南部を中心に徐々に英国文化が受け入れられていった。

塹壕戦のために開発されたグレイヴはその後、機動砲戦力としての側面を強くし、他国のグレイヴ開発が英国に追いつき始めた第一次世界大戦以後はかつての騎兵に代わる独立した機動打撃戦力として運用されるようになってゆく。

なお、最終的に英領サツマがその帰属を日本へと戻したのは第二次世界大戦後、大英連邦の影響力が低下し加盟国の独立脱退が相次いで後のことである。


蒸気装甲戦闘工兵開発史 - 妄想科學倶樂部
蒸気装甲戦闘工兵開発史(2) - 妄想科學倶樂部
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